ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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レパントの海戦

1571年10月7日に起きた、オスマン帝国海軍と、教皇・スペイン・ヴェネツィアの連合海軍との海戦である。ヨーロッパ連合側には、ジェノヴァやイタリアの諸国家、マルタ騎士団も加わっていた。この海戦は、ヨーロッパ史にとっては大いなる転換点ではあったが、オスマン史にとってはさほど衝撃的なものではなかった。ただしオスマン帝国がこの大敗に動揺し、スレイマン1世没後の帝国の曲がり角に立った大事件であった事は事実である。

ヨーロッパの連合艦隊は300隻からなり、有能な指揮官オーストリア公ドン・ファン・デ・アウストリアによって指揮されていた。オスマン帝国側は、アリ・パシャに率いられた300隻であった。両軍とも大多数をガレー船が占めており、これを主力として用いた海戦としては最後のものとなった。

戦闘は午前10時に始まり、午後4時に終わった。オスマン帝国の旗艦が捕獲され、ドン・ファンの意向とは反対に敵の司令官アリ・パシャは捕らえられ斬首された。スペインの旗艦のマストにアリ・パシャの首が掲げられたことで、オスマン帝国側の士気は崩壊した。

結果は、オスマン帝国の壊滅的敗北に終わった。戦争に参加したおよそ300隻の内、40隻しか生き残ることができない程であった。3万人が死亡、ガレー船のこぎ手として拘束されていたキリスト教徒の奴隷15000人が解放された。この戦いは、紀元前31年のアクティウムの海戦とナポレオン戦争中のナイルの海戦の間に位置し、それらと同じように地中海の趨勢を決める重要な戦いの一つとなった。

この戦闘は、ヨーロッパの軍隊がオスマン帝国に大きく勝利した最初の戦いとなり、ヨーロッパに大きな心理的影響を与えた。しかし、その後、ヨーロッパ諸国は足並みがそろわず、その勝利をさらに前進させて、オスマン帝国に対する優位を獲得することにつなげることができなかった。大敗と言っても、オスマン帝国側の提督の戦略的失策によるもので、この海戦の結果が即、欧州、オスマン帝国の軍事的逆転に繋がる訳ではなかった。

オスマン帝国はすぐに艦隊の再建にとりかかり、6ヶ月後には再び大艦隊を保有し、ヴェネツィアからキプロス島を割譲させるなど、地中海における優位性を依然として維持した。ただし、地中海の西側においては、オスマン帝国の影響は及ばなくなっており世界史上のこの戦いの意義は大きい。

小説「ドン・キホーテ」の作者ミゲル・デ・セルバンテスもこの戦闘に参加し、左手が不自由になるほどの怪我を負っている。
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