ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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史上最悪の過酷な試験

中国では官吏登用のことを選挙というが、試験には種々の科目があるので、科目による選挙、それを略して科挙という言葉が唐代に成立した。
とくに、君主による独裁体制が確立した宋代、皇帝は自分の思うままにこき使える官吏を、科挙によって十分に補給することができたのである。
科挙はあくまでも選抜試験であって、それ自体には教育の意味を含まない。ただ学校で養成した人材を試験によってよりすぐって、これを官吏にするのが科挙の狙いであった。

受験戦争の始まり
中国の広い国土と人口の中から、もっとも環境に恵まれ、才能に富んだ人たちが集まって必死の競争を展開するのだから、科挙はどんど難しい試験になっていった。
科挙のための競争は、すでに子供の頃から始まっている。金持ちの家では、子供を寺子屋に入れて『論語』をはじめとする四書・五経を徹底的に覚え込ませる。科挙を受けようとするものは必ずどこか国立学校の生員(生徒)でなければならなかったから、まずその学校に入るための入学試験を受けなければならない。これが学校試と呼ばれるものであり、3年に2回の割合で行われた。

学校試
学校試は3つの段階に分かれていて、第一が県で行なわれる県試、第二が府で行なわれる府試、第三が本試験ともいうべき院試である。
県試では、まず最初の問題は四書から出る。たとえば、『論語』の本文にある「君子に三つの畏(おそ)れがある」というのが問題に出ると、その答えには「天命をおそれ、大人をおそれ、聖人の言をおそれる」という下文を引用し、それに朱子の意見や自分の解釈を加えて1つの文章をつくるのである。
出題の後、1時間ほどすると、係員がまわってきて、答案が書けた所までのあとに印判をおす。これは答案作成の速度を知るためで、この1時間の間にもし1行も書けず、最初の所へ印をおされると、そのあとの答案がいかによくできていても、採点の際不利となる。
第二の問題は四書からの問題と題を示し韻を指定して詩を作らせるという問題と2問出る。県試では入学定員(4名~25名)の約4倍ほどを採用しておいてその後の2回の試験で絞り、ちょうど入学定員の数に一致させる。
こうして、府試・院試、さらに今一度学力をためすための歳試が行なわれ、「童生」は晴れて国立学校への入学を許可され、「生員」となるのである。そして、いよいよ官吏への関門である科挙に臨む。
ここからが本番だ。

科挙試─郷試
郷試の予備試験である科試(倍率約100倍)を突破した者を「挙子」と呼ぶ。
郷試は3年に1回、8月9日~16日(旧暦)にかけて、各省の首府で行われる。試験場は貢院といい、独房が蜂の巣のように何千・何万と並んでいる。挙子は、試験開始の前日、8月8日に入場する。
門前でまず人員点呼が行われ、各学校の教官が立ち会って本人に間違いないことを確認する。挙子はめいめいに大きな荷物を抱えているが、それもそのはずで、試験場でとりあえず3日3晩を過ごさなければならないから、硯(すずり)や墨、筆、水さしのような文房具のほかに、土鍋・食料品・せんべい蒲団・入り口にかけるカーテンまでもちこむ必要がある。
点呼がすむと、今度は身体検査がある。4人の兵卒が同時に挙子の着衣を上から下までなでまわし、荷物を開けさせて内容を調べる。書物はもちろん、文字を書き込んだ紙片は持ち込み厳禁で、もしそれを発見した兵卒があれば、銀3両を賞に与えられるというので、取調べは厳重をきわめ、饅頭(まんとう)を割って中のあんまで調べるといわれる。
それが終わるとようやく受験生は試験場に入り、自分の独房をさがしあてる。1日がかりの入場さわぎが終わり、挙子が全部それぞれ自分の号舎に落ち着くと、大門に錠が降ろされる。この時以後はどんなことがあっても試験の終了するまでこの門の扉は開かれないのである。
翌朝から試験開始である。係員がまわってきて、答案用紙と問題用紙を配布する。この日の出題は四書題3、詩題1である。挙子たちは、これから頭を抱え、知恵を絞って答案作成に取りかかる。時間は十分に、翌10日の夕刻まで与えられている。
まず、草稿紙の上で十分に案を練り、いよいよ自信ができたときに初めて清書に取りかかる。腹が減れば持参の饅頭を食い、時間に余裕のあるものは土鍋で飯をたく。雨が降ったりすれば大変だ。戸のない独房の中に容赦なく吹きつける雨で命よりも大切な答案を濡らすまいと、必死になって防ぐ。夜になればろうそくを灯すことが許されるが、もしそれが倒れて答案用紙に焼け穴でもこしらえたらおおごとである。
疲れればぜんべい蒲団をひっぱりだしてひと休みすることもできる。しかし隣の独房にこうこうと灯がついていると、自分一人遅れてはなるまいと、再びとび起きて答案用紙に向かう。
疲労と興奮とが重なって、たいていの人は頭が少しおかしくなり、日頃の実力が発揮できぬものが多いが、ひどいのになると病気になったり、発狂したりする。

採点と合格発表
8月11日に第2回の出題(五経題5問)、第3回の策題(政治評論)は15日に行われ、1週間にわたった郷試はすべての日程を終了する。15日はちょうど仲秋の名月であるから、試験から解放された挙子たちは心ゆくまで酒宴を楽しむ。
挙子の苦労に匹敵するのが審査(採点)である。うず高く積まれた何万人分もの答案の中から優秀な答案を拾いださなければならない。しかも、その答案には受験生の一心がこもっているので、それがときどき神秘的な力をもって考官(審査官)の心理を撹乱(かくらん)するという。
ある考官は一枚の答案を見ていくうちにどうもよくないと思って×をつけておいた。ところが翌朝起きてその答案を見ると、確かにつけたはずの×が消えている。不思議に思ってそれを一番最低で合格させた。果して、この受験生は立派な人物で、のちに有名な政治家になったという。
郷試の合格発表は9月5日から25日のあいだに行われる。
合格者は今や挙子ではなく、新たに「挙人」の資格を終生にわたって獲得する。挙人は、とくに自分の才能や学問を認識して合格させてくれた試験官との間に、かたい師弟の契りを結ぶ。この師弟関係は一生涯続くことになる。これは、皇帝の側からすれば、党派をつくる一因となり好ましくなかったので、幾度か禁令が出されたが一向に効き目がなかった。そこで宋代に、皇帝自らが試験官となって最終試験を行ない、恩を売ってその合格者すべてを弟子とし、官僚の大親分になろうとした。これが殿試である。

挙人の偉さ
挙人になると、世間の見る目も一夜のうちに違ってくる。
清代の小説『儒林外史』の主人公范進(はんしん)が郷試に合格したときの話。范進はやっとのことで院試に合格して生員となったが、暮らしは依然貧乏であった。外出するにも着物のすそにいつもぼろがぶらさがっている有様なので、世間でもあまり尊敬してくれない。范進がとくに頭が上がらないのが、妻の父である。范進がいつも妻子をほったらかしにして勉強にふけっているものだから、いつも舅(しゅうと)からののしられていた。
友人から金を借りて首府に出向き、やっと郷試を受けて帰ってみると、妻も子ももう食料が尽きて餓死寸前である。舅はそれを聞きつけてまた彼を怒鳴りに来る。范進は金を工面するために町へ出かけた。
その留守に、県から范進の郷試合格通知書をもって使いがやってきた。帰ってきた范進を見て、近所の人たちが合格だ合格だとはやしたてるが、范進は一向本気にしない。しかし、自分の家の戸口に掲げられた合格通知書を見るなり、范進は、合格だ!と叫んでその場にばったり倒れてしまった。
あわててバケツの水をぶっかけると、息を吹き返したのはいいが、今度は、合格だ!合格だ!といってそこらを走り回る。すっかり気がちがってしまったのである。
「こういうときはふだん一番怖がっている人に叱りつけてもらうとなおるものだ」と誰かが言うものだから、それなら舅だ、ということで、范進のもとへ連れて来られた。しかし、婿(むこ)の頭をどやしけろと言われても、今や婿は「新挙人さま」である。なかなか手は出ない。周りの者にせかされた挙句、酒をぐいとあおった勢いで、走り回っている范進をつかまえ、「こん畜生、何が合格だ!」と一撃を加えた。范進は無事正気を取り戻した。

科挙試─挙人覆試・会試・会試覆試・殿試
郷試のあった翌年の3月、全国の挙人を集めて会試が行われる。
この会試こそ、科挙の本体をなすものであり、唐代にはこの試験は貢挙とよばれ、これに合格すればすぐ進士になれた。といっても、実際に官吏の任免をつかさどるのは吏部であるから、最後に吏部試という採用試験を受けなければならなかった。
この試験は身・言・書・判の4種類であり、身とは官吏となって人民を威圧するに足る堂々たる風采があるか、言とは言葉になまりがなく、荘重に部下に命令したり仲間と応対できるかを試した。書は文字がきれいに書けるかどうか、判は法律上の問題に関して誤りなく裁判ができるかどうかを検査した。
清代には、あまりにも挙人が多くなり試験場に入りきれない恐れが出てきたので、会試の前にもうひとつ挙人覆試なる試験を設けて志願者をふるい落した。また、殿試の前にも会試覆試と称する予備試験を加えている。
殿試は、皇帝自らが出題する最終試験であるから、今までの試験とは趣きが違う。その答案も、少なくとも1000字を書かなければならない。また、答案の書き方も形式が決まっており、これに背くことは許されない。
参考:宮崎市定著『科挙』(中公文庫)
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