ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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ウイリアムテルとスイスの独立

ウイリアムテル
14世紀スイスの伝説的愛国者。スイス中部のウーリ州にすみ、横暴な代官ゲスラーの帽子に敬意を表さなかったため、愛児の頭にのせたリンゴを矢で射おとせという難題をふきかけられたが、見事に成功したとされる。失敗して息子が死ねば、ゲスラーを殺す覚悟だったと手紙に書いたため投獄されるが、脱獄し、ゲスラーを待ち伏せして殺害した。これをきっかけに、農民たちがオーストリア支配に対して一斉蜂起し、スイスの統一・独立が実現したとされる。

スイスの歴史
1033年、神聖ローマ帝国の支配下にはいった。その後、封建貴族や修道院などの支配する小さな地域や帝国から自治をゆるされた小さな都市国家の集まりとなっていったが、やがてそれらは地域的連合体を形づくっていく。
2独立のための闘争 1276年、ハプスブルク家のルドルフ1世は、スイス人の伝統的な自由と自治をおびやかし、封建的支配を強めた。これに対抗してルツェルン湖をとりまくウーリ、シュビーツ、ウンターバルデンの3地域は、91年に相互防衛のための「永久同盟」をむすんだ。この同盟がのちのスイス連邦の核となった。14世紀にルツェルン、チューリヒ、グラールス、ツーク、ベルンが同盟にくわわり、さらに15世紀にはフリブールとゾーロトゥルンも加盟した。1499年、神聖ローマ帝国のマクシミリアン1世はスイス同盟を圧迫してシュワーベン戦争をひきおこしたが、戦いにやぶれ、バーゼル条約によってスイスは事実上の独立がみとめられることになった。
法的な独立が認められるのは1648年のウェストファリア条約のときである。
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