ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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インカ帝国と征服者ピサロそして黄金・・・・。

1533年、海を渡ってきた征服者によって、アンデスに独自の文明を築いていたインカは滅亡した。
皇帝アタワルパを処刑、黄金の都クスコを占領し略奪の限りを尽くしたその男こそスペインの征服者フランシスコ・ピサロだった。
下級貴族の私生児として生まれたピサロは、本国での陽の当たらない暮らしを捨て、新大陸に渡り、ついに巨万の富を得る。
インカ帝国の黄金は、彼により略奪され、金の延べ棒にされた。
その重さ8トン・・・・・。
しかし、財宝を手にしたのも束の間、彼は暗殺者により刺し殺された。皇帝アタワルパを処刑した8年後のことだった。
一方、先住民の「心の征服」に最大の役割を演じたのはキリスト教であった。そもそも新大陸への侵略を後押ししたのは、異教徒へ
キリスト教を広めるという大義名分だったのである。

参照:世界遺産「リマ歴史地区(ペルー)」2006年10月22日放映 

☆ フランシスコ・ピサロ(1476~1541)
 スペインの探検家。残虐さと無法ぶりで知られるが、すぐれた軍事的才能の持ち主でもあった。
南スペインのトルヒーリョで生まれる。1510年にアメリカ大陸にわたり、太平洋にいたった13年のバルボアの遠征をはじめ、数々の遠征に参加した。19年、パナマに入植し、5年後には、スペインの探検家アルマグロと組んで南アメリカ地域の探検・征服をくわだてた。南アメリカ大陸の西岸を2回にわたって調査し、ペルーのインカ帝国の存在を知ったピサロは、28年にスペインにもどり、カルロス1世(のちの神聖ローマ皇帝カール5世)からペルー支配の許可を取得し、募集した兵士をつれて30年にパナマにもどった。パナマでさらに兵士を補充し、32年に約180人の部下とともにペルーに上陸した。皇帝アタワルパを処刑してインカ帝国を征服、35年にはインカ帝国の首都クスコにかわる新しい首都としてリマを築いた。
その後、クスコの領有権をめぐってアルマグロと不和になり、1537年に内戦がはじまった。この戦いに勝利したピサロはアルマグロを処刑したが、41年に自身がアルマグロ派の残党に暗殺された。
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