ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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雪駄と千利休

履物(草履)の一種。裏面に皮を貼って防水機能を与え、鼻緒の裏に留金(後金)がついている。
水を打った露地で履くために千利休が考案したとされる。主に茶人や風流人が用いるものとされたが、現代では男性が着物を着る場合にはかならずといっていいほど雪駄が用いられる。

千利休(1522~91)  
安土桃山時代の茶人で茶の湯の大成者。和泉堺(大阪府堺市)の町衆田中氏の出身。千宗易(そうえき)と号した。武野紹鴎について茶の湯をまなび、織田信長・豊臣秀吉につかえて天下一の茶頭(茶の湯の師匠)となる。
とくに秀吉には重用され、たんなる茶頭という地位をこえて、秀吉の弟・秀長とともに、側近として秀吉の政治に深くかかわった。1585年(天正13)、秀吉が関白就任を記念しておこなった朝廷での茶会では、天皇から利休の居士(こじ)号をあたえられて秀吉の後見をつとめた。また、87年の秀吉による全国統一を誇示した有名な北野大茶湯では、中心になって会を演出し、茶の湯の最盛期をきずいた。
しかし1589年、秀吉の怒りにふれて堺で蟄居(ちっきょ)、ついで死を命じられた。その罪状は、利休の亡父の50年忌に大徳寺山門を修築した際、そこに自分の木像を安置したこと、不当な値段で茶器を売買したことなどとされたが、実際には秀吉との間に茶の湯をめぐる考え方の対立が生じたことと、政権内部の権力闘争にまきこまれた結果とみられている。
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千利休について

千利休画)千利休(せんのりきゅう、せんりきゅう、大永2年(1522年) - 天正19年2月28日 (旧暦)|2月28日(1591年4月21日))は中世末期、安土桃山時代の茶人。何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶(草庵の茶)の完成者として知られる

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