ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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マルコ=ポーロは本当に中国に行ったのか?

『東方見聞録』によれば1271年にイラン・中央アジアを経て上都に入り、皇帝フビライ=ハンに謁見した。その後、20年間元に仕えながら中国周辺の各地を巡り、1292年、泉州からイランのイルハン朝を経て帰国したという。
1295年に始まったピサとジェノヴァ共和国との戦いのうち、捕虜となったピサ出身のルスティケロと獄中で同じ牢獄にいたことで知り合い、日本では『東方見聞録』という名でよく知られた旅行記『世界の記述』口述したという。その写本の記事はヨーロッパの人々には信じがたい壮大な内容含んでいたため、マルコ・ポーロは嘘つき呼ばわりされた。
しかし、彼の伝えたアジアの富に関する記事はよく読まれて旅行記は内容を書き加えられながら写本を重ね、大航海時代に大きな影響を与えた。
評価
①大英図書館中国部主任のフランシス・ウッドは『マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか』において『東方見聞録』に紹介されていない中国の風俗が多い(万里の長城や纏足や茶の記述がない)ことなどを理由にマルコが元まで行ったことに否定的な見解を示している。
②日本のモンゴル史学者の杉山正明はマルコ・ポーロの実在に疑問を投げかけている。その理由として『東方見聞録』の写本における内容の異同が激しすぎること、モンゴル・元の記録の中にマルコを表す記録が皆無なことなどを挙げている。
ただし『東方見聞録』の中には実際にクビライの近くにいなければ到底知りえないことが数多く記載されているので、『東方見聞録』は複数のヴェネツィア商人の記録を纏めた物ではないかとも考えられる。
当時、モンゴル帝国の整備した交通網によって、ヴェネツィア商人のみならず、数多くの西欧人が帝国各地を訪れていたことが各種記録に残されている。
日本では、ヨーロッパに日本のことをジパングの名ではじめて紹介したことでもよく知られている。ここで日本は「黄金の国ジパング」と紹介されているが、
マルコ・ポーロは実際に日本には訪れておらず、中国で聞いた噂話的な話となっている。黄金の国~というのは中尊寺の金色堂についての話を聞いた処に因っている。 尚、日本人については「人を食べる」という記述もある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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