ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

米西戦争を観戦していた秋山真之.txt

日本海軍史上きっての戦略家といわれる秋山真之は、海軍兵学校を首席で卒業(第17期)。 日清戦争には砲艦筑紫の航海士として参加し、戦後アメリカに留学してマハン大佐の薫陶をうけ、米西戦争(1898年)では観戦武官を務めた。 米・英駐在の三年間に海軍の戦略・戦術・戦務の三概念を具体化し、帰国後海軍大学校教官となり普及させた。
1903年(明治36年)12月、第一艦隊兼連合艦隊参謀、日露海戦全期間を通じて連合艦隊の作戦主任を務める。
・旅順に停泊する太平洋艦隊に対する閉塞作戦
・バルチック艦隊に対する大回頭(俗にいう東郷ターン)及び丁字戦法
・七段構えの三段からの攻撃計画
などを提案し、日本海海戦では敵艦隊を殲滅し日本海軍を圧倒的な勝利に導く。
連合艦隊司令長官東郷平八郎は、真之を「智謀湧くが如し」と称え、上官たちも彼の頭脳の優秀さには舌を巻き、ほとんどの作戦を彼に一任していたという。
日露戦争後は「三笠」副長、「秋津洲」、「音羽」、「橋立」、「出雲」、「伊吹」と各艦長を務める。第一艦隊参謀長、海軍大学校教官、 1914年(大正3年)海軍省軍務局長となり、1916年軍令部出仕(欧米出張)、のち第2水雷戦隊司令官、将官会議議員。 第一次大戦では艦隊の地中海派遣を推進した。
1917年(大正6年)中将となるが健康が優れず待命仰付。翌年1918年2月、51歳の若さで逝去する。
出典:Z旗http://www.z-flag.jp/sakakumo/saneyuki/index.html#a
☆米西戦争(アメリカ=スペイン戦争戦争)
① プロローグ
1898年、アメリカがスペインの植民地であるキューバとフィリピンの独立革命に介入してスペインをやぶり、植民地をうばった戦争。米西戦争ともいう。
1868年キューバ人は独立のために立ち上がったが、結局勝利できず、78年に終結、スペインはキューバの改革を約束した。しかし、約束がまもられなかったため、95年にふたたび独立運動がはじまった。フィリピンでも96年カティプーナンによる独立革命がはじまった。
②アメリカによる干渉の背景
アメリカでは、人道的・経済的観点から、キューバの独立革命への干渉論が高まっていた。ピュリッツァーやハーストらがスペイン軍のキューバ人虐待を報道。革命による経済的権益の大きな被害も懸念され、実際、貿易の全面的な停止に直面した。
こうした情勢下、キューバ独立革命の支援をのぞむ国民の声は、連邦議会で支持される。クリーブランド大統領は干渉に反対し、後任のマッキンリー大統領も就任当初は反対の立場をとる。
1897年、スペイン首相サガスタは内乱解決の提案をおこなった。それは、キューバ人に部分的な自治権をみとめるとともに、残虐な監獄制度を廃止するというものだった。しかし革命勢力は、完全な独立を要求して活動を継続した。革命がつづくなか、アメリカの干渉をまねく事件が発生した。1898年2月15日アメリカ人の生命保護を目的にハバナ港へきていた戦艦メーン号が爆破、260名が死亡したのである。干渉論が高まるなか、マッキンリー大統領が4月20日、スペインのキューバからの即時撤退をもとめる連邦議会の決議を承認すると、これに対してスペインは24日、アメリカに宣戦を布告する。翌25日、アメリカ連邦議会も宣戦布告し、アメリカの行動は植民地獲得のためではないことを決議した。
③戦争の展開とその結果
1898年5月1日、フィリピンのマニラ湾に停泊していたスペイン艦隊は、アメリカのアジア艦隊の攻撃をうけ、壊滅した。他方、キューバでは7月1日に陸上部隊がキューバ革命軍の支援をうけてサンティアゴデクーバを包囲。7月3日にはサンティアゴデクーバへのアメリカ軍による海上封鎖を突破しようとしたスペイン艦隊を撃破し、サンティアゴデクーバは陥落した。アメリカ軍はさらに攻勢をかけ、プエルトリコを占領し、スペイン政府は7月18日、休戦を要請した。 1898年12月10日にパリで調印された講和条約によって、スペインはキューバの領有権を放棄し、フィリピン、プエルトリコ、マリアナ諸島のグアム島をアメリカに割譲することになった。この戦争の結果、アメリカは列強入りをはたした。
アメリカは独立革命への支援を大義名分に介入したが、パリ講和会議にフィリピンとキューバ代表はまねかれず、戦後にキューバはアメリカ占領軍の管理下におかれ、1902年に独立をはたすものの、実質的にはアメリカの保護国となった。フィリピンは1898年に独立、99年に共和国となるが、フィリピン・アメリカ戦争によって結局アメリカの植民地となった。また長い間、不明とされてきたメーン号爆破事件の原因については、1969年、アメリカ海軍当局がエンジン部分の故障による爆発だったとの調査結果を公表している。
スポンサーサイト

コメントの投稿

URL
コメント
パスワード
秘密
管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://historia1492.blog98.fc2.com/tb.php/284-946666ed
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。