ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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二宮金次郎を村上龍が語る.txt

農村の出身で、幼いときに洪水が原因で田畑を失い、その後相次いで両親も失う。その後ずっと、決壊した堤防の辺りを彼は歩き回ってばかりいるわけ。
周りからは、「あいつは気が触れている」と言われながら、二宮金次郎はなぜ両親を失わなければならなかったのか、ずっと考えていたらしいんだよ。
もともと貧しい農家の出身なんだけど、彼は勉強して小田原藩に入るんだよね。
その小田原藩が、今の栃木県に領地を持っていたらしいんだけど、村の土地が
すごく疲弊していて農民が年貢を納められない。そこで「おまえが行って立て直してこい」と言われて、二宮は行くわけ。
そこでまず彼がやったのは、一生懸命働いている農民とそうでない農民にがいたら、一生懸命やっている農民を徹底的に褒めて、年貢の量も1/4にした。
それまでは、とても無理な年貢が課せられていたんだけど、「これではやる気
が起きないから」と小田原藩主に掛け合って、やる気が起きる範囲の年貢にして貰った。
それから、木の株を掘るような地味な仕事をしていた、貧しくて家もないおじいさんに家をあげたりして、要するにモチベーションを与えたわけだよ。
やったことはほとんどカルロスゴーンに近いんだよ。
その後、日本の歴史では有名な天保の大飢饉が起きる。ただ、金次郎はかつて
堤防を毎日のように歩き回っていたから、自然の異変にもいち早く気づいた。
葉っぱの先が白くなっているのを見て、その年は寒い夏がくることがわかっていた。そこで村人達にコメではなくて、粟や稗を半年分生きられるだけ、ためておけと指示する。そのおかげで飢饉になっても、村は助かった。
もちろん他の地域では飢饉はあちこちで起きていて、日本中で何十万人という死者がでるほどだった。その最中今度は小田原で飢饉対策を進めるんだよ。
人々を、難がほとんどない無難という人と、難が中程度の中難の人、食べるものが全くない極難の人に分けるわけ。そして今で言うファンドを作った。
極難の人たちが飢え死にすると藩全体が疲弊して、結局はあなたたちも損をするといって、小田原藩全体からコメやお金を集めて回った。お金は4000両くらい集めて、その金でコメを買いお粥をつくって極難の人たちに食べさせた。
結果的に小田原藩は1人の餓死者も出さなかった。
これで金次郎は一気に有名になって、その後、幕府に抜擢され、日本中の村々をまわって立て直したんだ。
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