ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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ジョージ1世時代のイギリス社会を風刺したガリバー旅行記.txt

ガリバー旅行記 
 イギリスのジャーナリストで作家のスウィフトがあらわした4編からなる風刺小説。1726年に匿名で出版された。航海に出るたびに奇想天外な国に行きつき、さまざまな体験をする船医ガリバーの旅行記のかたちをとっており、第1編の小人国渡航記、第2編の巨人国渡航記は、子供向きの空想旅行記として世界でしたしまれてきた。しかし、全体の内容は、当時のイギリス社会、あるいは人間存在全般に対する激烈な風刺であり、きわめて辛口の読み物である。
①不思議な国々を遍歴
外科医レミュエル・ガリバーは船医として羚羊(かもしか)号にのりくんだが、嵐で難破し、「リリパット」におよぎついた。住民の身長は6インチ(約15cm)以下、すべてのものが人間の世界の12分の1に縮小されている小人国である。ここでガリバーは、敵国の艦隊をまるごと綱でひっぱってくるなど活躍し、「人間山」とよばれて皇帝のお気に入りになる。しかし、そんなガリバーをねたんだ宮廷内の一派の陰謀により、皇妃宮殿の火事を小便でけした手柄が不敬罪に問われることになって、ガリバーは隣国に亡命する(第1編)。いったんイギリスにかえったガリバーは、冒険号でふたたび航海に出たが、見知らぬ海岸に1人とりのこされた。そこは、すべてが巨大な巨人国「ブロブディンナグ」であった。この国では、ガリバーはパンの皮につまずいてたおれるというありさま。見世物にされたガリバーは人気者となり、国王に謁見し、イギリスの歴史と政治について説明したりする(第2編)。
ホープウェル号で3度目の航海に出たガリバーは、海賊におそわれて、思索に没頭するあまり会話のできない人々がすむ空飛ぶ島「ラピュタ」に漂着した。次におとずれた「グラブダブドリッブ」では古今の有名人の亡霊と話をし、「ラグナグ」では、不死の人々にあって長寿を重ねるとはどういうことかを目のあたりにする。この航海では日本にもしばし滞在した(第3編)。
冒険号の船長として4たび出航したガリバーは、船員たちの反乱にあい見知らぬ島にすてられた。そこは、聡明で高貴な馬フウイヌムたちがすむ「フウイヌム」国で、ガリバーは、この理性の生き物フウイヌムを敬愛するようになる。一方、あちこちでみかける人間そっくりのヤフーという動物は、野生種にしろフウイヌムの家畜となっているものにしろ、不潔で品性下劣で醜悪な、ぞっとするような奇獣であった。ガリバーは高潔な馬が支配するフウイヌム国に永住したいと希望するがかなわず、祖国にもどる。しかし、大喜びでむかえてくれた妻子も今や嫌悪感をもよおすヤフーにしかみえず、フウイヌム国でおぼえた馬の言葉で飼い馬と会話する時間だけ気分がやすらぐのであった(第4編)。
②孤高の風刺文学
「ガリバー旅行記」には、全編、イギリスの社会と人間への痛烈な批判がちりばめられている。たとえば、小人国の宮廷のようすはジョージ1世の宮廷での出来事や実在の人物に照応している。巨人国の国王はガリバーからイギリスの歴史と政治についての話を聞いて、「イギリスでは無知と怠惰と悪徳のみが政治家の要件であることがよくわかった」と答えている。ラグナグ国の、知力も体力もおとろえながら永遠に生きつづける人々の姿は、不老不死をねがう愚かさを浮き彫りにし、フウイヌム国のヤフーを描写する筆致は、もはや風刺の域をつきぬけて、人間すべてに対するスウィフトの憎しみと絶望があらわれている。
スウィフトは政界進出の野心にもえながらはたせず、社会に対し憤懣やるかたない思いをいだいていた。「ガリバー旅行記」の辛辣さは、そのような半生が反映されていると考えられている。また、執筆当時、すでにスウィフトの精神状態は悪化にむかっていたとする説もあるが、いずれにせよ、文章はきわめて明快で魅力にとみ、イギリス散文のお手本ともされている。
この作品は、1726年に匿名で出版されると、すぐさま成功をおさめた。当初のねらいは、当時の宮廷や政治家や政党に対して、風刺による寓話的で強烈な攻撃をおこなうことであった。しかし、6年以上かかったとされる執筆期間の間に、人間社会への円熟した考察がおりこまれていった。こうしてできあがった「ガリバー旅行記」は、人類すべてを笑いものにする、残忍なまでに辛辣な作品になった。しかし、ひじょうに創造力と機知にとむ、簡潔に書かれた作品であり、子供たちの愛読書としてもよみつがれることになるのである。

☆ジョージ1世 George I 1660~1727 
ハノーバー朝初代のイギリス国王。在位1714~27年。ドイツのハノーファー選帝侯エルンスト・アウグスト(→ 選帝侯)とイングランド王ジェームズ1世の孫娘ソフィアとの間に生まれ、スチュアート朝最後の君主アン女王の死後、イギリスの王位継承法により王座についた。54歳でまねかれて即位したため、生活や習慣の点では完全にドイツ人で、英語を解さなかった。そのため、イギリス国王としての責務はじゅうぶんはたしたにもかかわらず、イギリスでは終生人気がなかった。
即位の翌年に、名誉革命で王位をおわれたジェームズ2世の息子ジェームズ・フランシス・エドワード(大僭称者:だいせんしょうしゃ)を王位につけようとするジャコバイトの反乱がおきたが、鎮圧に成功した。以後ジョージは、トーリー党はジャコバイトの党派だとして、ホイッグ党の政治家のみを大臣に登用した。内政にかんしては、スタナップ、タウンゼンド、ウォルポールらの大臣に一任し、「王は君臨すれども統治しない」という責任内閣制度が発足することになった。彼らのすぐれた行政手腕のおかげで、イギリスにおけるハノーバー家の立場は確固たるものになり、現在の王室も彼の子孫にあたる。
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