ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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「イフ」的思考のすすめ 塩野七生.txt

以下は、高校の国語の教科書の掲載文章。歴史の醍醐味を塩野さんらしい明快な切り口で語ってくれています。流石、女司馬遼太郎ですな。

歴史に「イフ」はいけないということになっている。例えば、もし信長が本能寺で死なずにあと十年生きていたなら、日本はどうなっていただろう、というようなことは、歴史では考えてはいけないというのである。本当に、そうだろうか。俗に言う重箱の隅を突っつくたぐいの学術論文は別にして、歴史書を書くほどの人は学者でも、ということは世界的に有名な大学の教授の地位にある研究者でも、その人たちの歴史著作を読めば、必ずしも「イフ」は禁句ではないということが分かる。もちろん彼らでも、カエサルがブルータスらに殺されずにあと十年生きていたなら、ローマはどうなっていたか、とは書かない。しかし、カエサルの暗殺以後のローマの分析は、「イフ」的思考を経ない限り到達不可能な分析になっている。ということは、書かなくても頭の中では考えていたということである。
では、専門の学者でもなぜ、「イフ」を頭の中だけにしても弄ぶのか。それは歴史を学んだり楽しんだりする知的行為の意義の半ばが、「イフ」的思考にあるからである。ちなみに残りの半ばは、知識を増やすことにある。「誰が」、「いつ」、「どこで」、「何を」、「「いかに」、行ったか、だけを書くならば、今や流行のインターネットでも駆使して、世界中の大学や研究所からデータを集めまくれば簡単に書ける。ところが史書が簡単に書けないのは、これらに加えて「なぜ」に肉薄しなければならないからである。
ギボンは『ローマ帝国衰亡史』の最後を、東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルの陥落で終えた。だが50余日にわたった攻防戦を日々記録したあるヴェネチアの医師が残した史料は、ギボンの死んだ後で発見されたのである。それを基にして今世紀、現在では世界的権威とされているランシマン著の『コンスタンティノープルの陥落』が書かれたのであった。
この二書を読み比べてみると、確かにランシマンの著作の方が、50余日の移り変わりが明確になっている。だが、本質的には全く差がない。ギボンの鋭く深い史観は一級史料なしでも歴史の本質への肉迫を可能にしたのである。つまり、「なぜ」の考察に関しては、データの量はおろか質でさえも、決定的要因にはならないということだ。歴史書の良否を決するのは、「なぜ」にどれほど肉迫できたか、に尽きると私は確信している。
そして、史書の良否に加えて史書の魅力の面でも、「なぜ」は大変に重要だ。誰が、いつ、どこで、何を、いかに、まではデータに属するが、それゆえに著者から読者への一方通行にならざるをえないが、「なぜ」になってはじめて、読者も参加してくるからである。
その理由は、「なぜ」のみが書く側の全知力を投入しての判断、つまり、勝負であるために、読む側も全知力を投入して、考えるという知的作業に参加することになるからだ。書物の魅力は、絶対に著者からの一方通行では生まれない。読者も、感動と知的刺激を受けるとかで、「参加」するからこそ生まれるのである。
そこで、「なぜ」という著者・読者双方にとっての知的作業には、必然的に「イフ」的な思考が必要になってくる。
私が言いたいのは、なぜ信長は本能寺で死なねばならなかったのか、の「なぜ」ではなく、生前の信長はなぜ、これこれしかじかの政策を考え実行したのか、に肉迫する「なぜ」である。
それには、信長の立場に立って考える事が必要だ。彼だって、本能寺で死ぬとは予想していなかったのだから。ゆえに、もしも信長があそこで死なずに十年生きていたら、と考えることではじめて、生きていた頃の信長の意図に肉迫できるようになる。反対に、「イフ」的思考を排除すると、話は本能寺で終わってしまい、日本史上空前の政策家信長の真意も、連続する線上で捉えることが困難になってしまうのだ。
歴史を、著者・読者双方ともが生きる現代に活かすのには、「イフ」的思考が有効なのである。
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