ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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過去5000年に中近東地域をどこが支配していたのかがFlash映像

過去5000年に中近東地域をどこが支配していたのかがFlash映像で、視覚的に理解できるサイト。
オリエントは、「日出ずる所」というよりも「戦のやまぬ所」ではないかと思わされる。
意外にアイユーブ朝は大きかったんですね。十字軍を撃退したのも頷けました。
http://redir.mivzakon.co.il/redir.aspx?id=7001

★アイユーブ朝(1169~1250)
1169~1250年に、エジプトを本拠地として、ジャジーラ(現、シリア北東部とイラク北西部)からイエメンまでを支配した王朝。エジプトを支配していたシーア派のイスマーイール派がたてたファーティマ朝の宰相だったサラーフ・アッディーン(サラディン)が同王朝をたおして樹立し、イスラム正統派(スンナ派)の教義にもとづいて支配を拡大するとともに、エルサレムを十字軍から解放した。首都はカイロ。
サラーフ・アッディーンは、イスラムの統一のために、アッバース朝カリフの宗主権をみとめ、自らは王としてスンナ派の学者育成のため、各地にモスク(礼拝所)や学校などを建設した。また軍事的封建制を採用し、軍人の主力であるクルド人とトルコ人マムルークに封土をあたえて農業の振興をはかり、生産を安定させた。
さらに、イエメン南部のアデンなど東西貿易の拠点をおさえて経済を繁栄させた。
サラーフ・アッディーンはジャジーラを支配していたトルコ系スンナ派でザンギー朝のヌール・アッディーンが1174年に急死すると、その支配地へ勢力をひろげ、十字軍の支配下にあったイスラムの旧領回復にのりだして、85年にはシリア北部からメソポタミアにかけて支配権を確立した。87年に十字軍とたたかって88年ぶりにエルサレムを解放。第3回十字軍にはアッコの攻防戦で苦戦をしいられたが、92年に和議をむすび、シリアとパレスティナの海岸地帯をキリスト教徒側にゆずり、その内陸部のイスラム教徒の所有をみとめさせた。
1193年のサラーフ・アッディーンの死後、後継者たちに領土は分割されたが、エジプトの支配者となった甥(おい)のカーミル(在位1218~38)は第5回十字軍とよくたたかい、撃退した。しかしサラーフの死を契機にアイユーブ朝は衰亡していき、第7回十字軍時にはフランス軍の進入をうけ、カーミルの孫のマスウードの治世を最後に、1250年マムルーク朝にとってかわられた。
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