ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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公演で「チベット独立」叫んだビョークに、中国政府が非難声明【3月7日 AFP】.txt

http://jp.youtube.com/watch?v=DLKM06AzSfI
アイスランド人歌手ビョーク(Bjork)が2日の上海公演中に「チベット」を連呼して叫んだ件で、中国当局がビョークに対する非難の声明を出した。
 ビョークは、公演で歌った『Declare Independence(独立を宣言しよう)』という曲の最後の部分で「チベット、チベット」と叫んだという。この件について、レイキャビクの中国大使館は次のような声明を発表した。
「ビョークさんが上海で取った行動に、中国の人々は強い憤りを感じている。中国は多民族国家であり、チベットは古代から中国の不可分の一部だ。これが国際社会の認識とされており、チベットを独立国家として認めている国はひとつもない。チベットを中国から独立させようとするいかなる試みも、中国人と正義を重んじる世界中の人々から、必ず反対を受けるだろう」
 問題となった『Declare Independence』はもともと、デンマークに属するグリーンランドとフェロー諸島の独立運動について書かれた曲。
 ビョークがチベット独立を支援するのは今回が初めてではない。1996年に米サンフランシスコ(San Francisco)で行われた「フリー・チベット(Free Tibet)」コンサートにも出演している。


★映画『クンドゥン』 監督マーティン・スコセッシ
1937年。チベットの寒村、タクツェル村。普通の家庭の末っ子だった幼子のハモ(テンジン・イェシェ・パチュン)は、第13世ダライ・ラマの生まれ変わりを探し求め、長旅を続けた高僧たちによって、慈悲の仏陀、観音菩薩の生まれ変わり、“法王猊下(クンドゥン)”と判断された。2年後、成長したハモ(トゥルク・ジャムヤン・クンガ・テンジン)は母親(テンチョー・ギャルボ)ら家族と別れ、彼らと共に首都ラサへと旅立ち、ダライ・ラマとして生きるための修行の日々に入った。ポタラ宮殿での日々は過ぎて行く。その間、ハモを連れてくるように命じ、彼に初代菩薩の誕生の話を聞かせた摂政レディング(ソナム・ブンツォク)は、かねて僧仲間からの反感を買っていたこともあって退任。ダライ・ラマは後任にタクラ(ツェワン・ジグメ・ツァロン)を定めた。さらに成長し、望遠鏡で外をのぞいたり、ニュースフィルムや文献で海外の事情にも通じるようになったダライ・ラマ(ギュルメ・テトン)。だが、ある日、彼は前摂政のレティングがタクラの暗殺を企てたかどで連行されるのを目撃し、こうした醜い現実からおのれが遠ざけられていることを知って苛立ちを覚えた。折しも中国では毛沢東(ロバート・リン)指導のもと、共産党支配による中華人民共和国が勃興、チベットが中国の領土だと各国にアピールし、さらにチベット政府に同様の趣旨の三つの要求を通告してきた。50年。ダライ・ラマ(テンジン・トゥタブ・ツァロン)は中国の要求を拒否し、戴冠式を執行、政府をインド国境近くのドンカル僧院に移した。インドへの亡命を勧める側近の声を聞きながら、非暴力の立場を貫きつつ、民を守ろうと新たな決意をするダライ・ラマ。だが、現実は厳しく、解放軍将軍は執拗に礼を失した訪問を繰り返し、国連もチベットの独立承認を拒否するに及んで、ダライ・ラマは54年、自ら北京に赴き、毛沢東と会見する。会見の席上、毛沢東は穏やかだったが、最後に冷然と、「宗教は人民の麻薬です」と告げるのだった。帰国したダライ・ラマは激化する解放軍の爆撃と罪なき人民へのいわれなき迫害を目にして、苦悩の末、ついに亡命を決意する。かくして59年、ダライ・ラマはラサを脱出、インドヘと亡命するのだった。

★映画『セブン・イヤーズ・イン・チベット
映画の公開後、中国政府は、映画の中で紅軍の士官が意図的に無礼で傲慢な人物として描かれている、また紅軍兵士がチベット人に対し虐殺したかのような演出がされたとして強く非難した。中国で反逆者、帝国主義者の手先とされているダライ・ラマ14世だが、映画の中では肯定的に描かれている。このため『セブン・イヤーズ・イン・チベット』は中国で上映禁止となった。また、映画の監督および主演者のブラッド・ピット及びデヴィッド・シューリスは生涯中国大陸への立ち入りを禁止された。
中国に入国できなかったため、映画の大半はアルゼンチンで撮影された。しかし映画の放映から2年後、監督ジャン=ジャック・アノーは2名のクルーがチベットに潜入し、一部の映像を中国国内で撮影したことを明らかにした。中国政府の強い反応にもかかわらず、ジャン=ジャック・アノーは映画に20分ほどのチベットで撮影された映像を加えていた。また、一部の映像はチベット近隣のネパールで撮影された。
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