ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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日本最古の大学足利学校.txt

以下引用日本の史跡101選http://www.adnet.jp/nikkei/shiseki/contents/082.html
古(いにしえ)の足利は学問の街だった。いまも、市内の道案内板には、さりげなく『論語』の教えが刻まれている。「巧言令色、鮮(すくな)し仁」「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」。思わず襟を正したくなる。街のど真ん中に美しい姿を見せる建物群が「学校さま」と市民が慕う足利学校である。中世から近世にかけて日本最古の総合学府として栄えた。
 JR両毛線の足利駅から徒歩で10分。石畳の歩道を進むと「学校門」。その内部に施設が並ぶ。正面が孔子廟(びょう)、その右手に、かつて教室のあった方丈と庫裏。建物の南北に庭園があり、書院の飾り窓から見る眺めは見事だ。建物の配置や名前には手本がある。儒教の開祖、孔子の生誕地、山東省曲阜(きょくふ)の廟である。
 構内の両隅には学生の寄宿舎だった衆寮。国宝の4種77冊など多数の漢籍を備える収蔵庫、遺跡図書館なども併設している。ざっと100メートル四方の周囲は、堀と土塁で囲み、ここだけが別天地であったことがうかがえる。
●坂東の大学 
江戸時代中期の姿を半分に縮小して再現したという。ただ、創建がいつかについては諸説ある。律令制下、国ごとに置いた学校、国学の流れだとすれば奈良時代。源氏の坂東進出に伴い、この地で勃興(ぼっこう)した足利氏のころとすれば平安末期。
 はっきりしているのは、室町時代の中期に再興したことだ。文武両道に優れていた関東管領、上杉憲実が校則を作り、自ら収集した漢籍を寄進。さらには校長を鎌倉の円覚寺から呼び寄せた。
 「坂東に足利学校という大学がある」。宣教師として日本にやって来たフランシスコ・ザビエルらは、こぞって足利学校の存在を書簡で本国に伝えた。ルイス・フロイスの書いた『日本史』にも登場する。学校の実力を卒業生から伝え聞いて驚き、布教活動の脅威になると感じたようだ。
 学生の数は最盛期には3000人。蔵書も2万冊が揃(そろ)っていた。知識欲のある者は無料で好きなだけ勉強ができた。校則では僧職が入学の条件だが、評判を聞いて、にわか僧侶でもぐりこむ学生も多かったようだ。
 教科は、四書五経など儒学が中心で、易学や医学、天文学、暦学なども。『史記』の輪読などを通じて兵学も教えた。
 この学校が最高学府とか総合大学と言われるのはまんざら誇張ではない。江戸時代の寺子屋が初等教育の原点とすれば、足利学校は高等教育の起源だった。
●軍師らを養成 
最盛期は戦国時代だった。易学や兵学に長じた卒業生は戦国の有力武将の間で軍師や補佐役として引っ張りだこだったという。
 武田信玄は家臣の連れて来た軍師が足利で学んだかどうかを重用の物差しとした。徳川の将軍3代に仕えた天海和尚は4年間も在籍した。日本医学の草分け的存在と言われる戦国時代の医師、曲直瀬道三(まなせどうさん)も卒業生だ。
 江戸幕府が朱子学を奨励するにつれ次第に存在価値が薄れ、明治の版籍奉還で廃校になった。とはいえ、再興からだけ数えても実に400年続いた。教育や学問を尊ぶ気風は日本中に広がった。
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