ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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オランダの至宝「夜警」.txt

映画「レンブラントの夜警」を見る。「真珠の耳飾りの少女」のように一枚の絵画を見るような映像美を期待するとがっかりする。そう聞いていはいたのだが、果たしてその通りだった。
劇中劇みたいな感じで、リアリティがない。黄金の時代のオランダがあそこまで陰鬱で退廃していたとは思えない。ちょっとデフォルメしすぎではないか。
もっとも「夜警」が彼にとっての分岐点であることは分かったのだけれど・・・。。
これなら、「エリザベス:ゴールデン・エイジ」にすれば良かったかも(苦笑)。

☆夜警(オランダ語:De Nachtwacht)☆
オランダの17世紀の画家レンブラント・ファン・レインによる絵画作品の通称。この作品は18世紀以降この通称で呼ばれているが、より適切な題名は『フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長の市民隊』となる。現在はアムステルダムの国立美術館に展示されており、レンブラントの代表作とされている。
①絵の中の要素
この絵画は次の三つの要素のために有名である。まずその巨大さ(縦3メートル63センチ、横4メートル37センチ)、次に光と影の効果的な使用、そして当時は不動の姿勢で描かれた軍隊や自警団の集団肖像画に動きの要素を取り入れたことである。
『夜警』はオランダ黄金時代の絶頂期であった1642年に完成した。この絵は題名となった市民隊(火縄銃手組合による市民自警団[1])が出動する瞬間を描いている。黒い服に隊長の印である赤い飾り帯を斜めにかけたフランス・バニング・コック隊長と、その右横の黄色の服を着たウィレム・ファン・ラウテンブルフ副隊長は隊を率いて動き出そうとし、その周辺では銃に火薬を詰める隊員や銃を構える隊員が銃の技量を示し、鼓手がドラムを構え、後ろでは旗手のヤン・フィッシェル・コーネリッセンが隊旗を掲げている。一斉に人々が動き始めたため、その下では犬が吠えたて、左には少年が走り回っている。各隊員はそれぞれ異なった方向に体を向け、多様な表情を見せており、隊員の動きが交錯して画面に興奮を生み出している。
レンブラントはキアロスクーロ(明暗法)を用いて群像にドラマチックな表情を与えた。強い日光が斜め上から差し込み影を作ることで、レンブラントは群像の中から3人の主要人物、すなわち中央の隊長と副隊長、そして中央左奥の少女を浮かび上がらせている。
レンブラントは火縄銃手組合の象徴物をさりげなく画面に配している。黄色いドレスの少女は隊のマスコット的な存在であったが、彼女の帯にぶら下がった鶏の爪は火縄銃手の象徴である。死んだ鶏は打ち倒された敵の象徴でもあり、黄色は勝利の色でもある。鶏の後ろの銃も火縄銃隊を象徴する。また彼女は自警団の盃(ゴブレット)を持っている。彼女の前の人物はオークの葉のあしらわれた兜をかぶっているが、これは火縄銃手の伝統的な主題(モチーフ)である。
②発注
レンブラントは、市民隊の隊長バニング・コックと隊員17名の計18名により制作を受注した。バニング・コックは薬剤師の一人息子だったがフランスで法学を学び、アムステルダムに戻って市民隊(自警団)隊長になっていた。彼は富裕な商人・船主・貴族のフォルケルト・オーヴァランターの娘と結婚し、彼の死後はその遺産や領主の地位を継いでおり、この絵が描かれた後の1650年にはアムステルダム市長にまでなった人物だった。レンブラントに発注した18人の名は中央右後方の盾に描かれている。その他、鼓手、少女、少年などが絵の中には描かれたほか、左側には絵が切り詰められる前はあと2人ほどの傍観者が描かれていた。この時の支払いや受注の記録は全く残っていないが、発注者たちの記録によれば各人が100ギルダー、計1,600ギルダーがレンブラントに払われた。これは当時の肖像画の報酬としては大きな額である。
この絵はレンブラントを含む画家たちに市民隊が発注した7枚の集団肖像画のうちの1点であり、新しく建てられた火縄銃手組合集会所の宴会場に掲げるために発注された。研究者の中には、レンブラントや他の画家たちに対する絵の発注は、フランスの王妃マリー・ド・メディシスの1638年のオランダ訪問に合わせてのものだったと考えている。彼女は当時フランスを追われた身だったが、彼女はアムステルダムで派手な歓迎を受けている。
この絵を発注した隊員たちが、支払った額と同じ様な平等さで各人を描かなかったレンブラントに不満を持ち、これが『夜警』以後の受注減やレンブラントの人生の転落の始まりになったという言い伝えもあるが正確ではない。レンブラントは妻サスキアが『夜警』完成と同じ年の1642年に死去したことや、『夜警』などの大作の受注で財をなしたことで翌1643年から仕事のペースを落とし、美術商としての仕事や絵画のコレクションに力を入れた。しかし妻の死、絵画売買のトラブル、絵画購入やぜいたくのための借金でレンブラントは疲弊し、画家の仕事も画商の仕事もうまくゆかなくなってゆく。
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