ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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『ツタンカーメンの呪い』

世紀の発見の後、恐ろしい出来事が続く。『ツタンカーメンの呪い』と呼ばれる事件である。
ツタンカーメンの墓の入り口には、「偉大なる王の墓にふれた者には、死をもたらす』と碑文が刻まれてあったというのである。
スポンサーのカーナボン卿が発掘の翌年の4月に原因不明の高熱で急死。
そしてその5ヵ月後には、カーナボン卿の義弟も急死する。
さらにその5年後にはカーターの片腕であった人物も病死。
碑文に刻まれていた呪いは事実だったのか?

『ツタンカーメンの呪い』の真相
まず碑文に刻まれていた呪いに関してだが、これはカーナボン卿を恨んでいたマスコミがデッチあげたホラ話だった。
当時カーナボン卿はロンドンタイムズ紙と独占契約を結んでおり、タイムズ社以外のマスコミには一切情報を流さなかった。
そのため、世界中のマスコミから非難が集中し、カーナボン卿は記者たちから恨まれていた。だからマスコミは『ファラオの呪い』の話をねつ造し、騒ぎ立てたのである。
では、カーナボン卿の死についてどうか。これは発掘の翌年に亡くなったのは事実であるが、死因は病死である。
カーナボン卿は、1901年にドイツで遭遇した自動車事故が原因で長いこと健康状態は悪く、エジプトに訪れるようになったのも、イギリスの冬の寒さに耐えられなくなったからである。亡くなったのも、髭を剃っていた時に誤って蚊に刺された跡を傷つけ、そこから熱病に感染し、肺炎を併発したことが原因であった。
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