ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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ユダヤ人の離散(ディアスポラ)とハドリアヌス帝.txt

ハドリアヌス帝が旅の最後に行ったもう一つの事件は、ユダヤ人の運命をその後20世紀に至るまで決定づける事件であった。

ローマ属州に組み込まれた諸地域において、原住民はローマが定める法に従いさえすれば、広範な自治が認められてた。またローマ文明圏に属することで安全にかつ豊かに暮らすことがでたのである。
このような属州としての地位にひとり肯んじなかったのがユダヤの地に住むユダヤ人である。ユダヤ教の神のみに服するユダヤ人は、ローマ法に服そうとしない。カエサル以来歴代のローマ指導者は、何とかユダヤ人とうまくやっていこうと苦労する。

ハドリアヌス帝は旅の最後にユダヤを訪れ、「割礼の禁止」を言い渡す。この措置はユダヤ人の気持ちを逆なでし、ユダヤ人の過激派が暴動を起こす。塩野七生氏は、ハドリアヌス帝はこれを狙って「割礼の禁止」措置を講じたのではないかと推測している。
ハドリアヌス帝は何年もかかって暴動を鎮圧した後、イェルサレムからのユダヤ教徒の追放を決定した。ユダヤ教徒はイェルサレムに居住できなくなり、各地に離散(ディアスポラ)することになる。
帝はユダヤの不安定要因はユダヤ教とその文化にあると考え、その根絶をはかった。ユダヤ暦の廃止が命じられ、ユダヤ教指導者たちは殺害された。律法の書物は神殿の丘に廃棄され、埋められた。さらにエルサレムの名称を廃して「アエリア・カピトリナ」とし、ユダヤ人の立ち入りを禁じた。紀元4世紀になってはじめてユダヤ人は、決められた日のみに神殿跡の礎石(いわゆる嘆きの壁)の前に立つことを許された。ハドリアヌスは徹底的にユダヤ的なものの根絶を目指し、属州ユダヤの名を廃して、属州「シリア・パレスティナ」とした。これはユダヤ人の敵対者ペリシテ人の名前からとったものである。現代まで続くパレスティナの名前はここに由来している。

こうしてユダヤ人は祖国を失い、元老院での採決を経て公式に発効した紀元135年からの「ディアスポラ」は、20世紀半ばのイスラエル建国までつづくことになりる。
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