ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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長州ファイブと山尾庸三.txt

映画「長州ファイブ」は、山尾庸三という一般にはあまり知られていない人物を中心として描かれた青春群像。
攘夷の嵐が吹き荒れる幕末期に幕府の禁を破ってイギリスへ命がけの密航を果たし、後に近代日本の幕開けに大きな足跡を残した長州藩の5人の若者、「長州ファイブ」と呼ばれる、伊藤博文、井上馨、井上勝、遠藤謹助、山尾庸三の激動の運命を描く歴史ドラマ。
ペリー率いる黒船の来航以来、尊皇攘夷の気運が勢いを増す幕末の日本。
そんな中、西欧に人材を派遣し見聞を広め学問や技術を習得することが必要と説く佐久間象山の言葉に
深く心を動かされた長州藩の若者、志道聞多。見つかれば死罪という国禁を犯してまでもイギリスへ渡りたいという聞多の情熱は、
藩主の毛利敬親にも聞き入れられ、藩は密航を黙認するのだった。
こうして、志道聞多と彼の情熱に突き動かされた山尾庸三、野村弥吉、伊藤俊輔、遠藤謹助の5人は、
日本の未来のため、遥かなる異国の地、イギリスを目指して危険な航海に旅立つのだった。

☆山尾庸三
天保8年10月8日(1837年11月5日) - 大正6年(1917年)12月21日)は幕末~明治時代の人物。周防国吉敷郡二島村(現・山口県山口市秋穂二島)出身。
江戸で航海術を学ぶ。『史料』、『武家名目抄』、『続群書類従』などの編纂に携わった。また、『南朝編年稿』、『近世武家名目一覧』、『集古文書』などを編著した。 文久2年(1862年)、塙忠宝を、伊藤博文とふたりで暗殺した。文久3年(1863年)、密航でロンドン・グラスゴーに渡りさまざまな工学を学び、明治元年1868年に帰国。帰国後に工部権大丞・工部小輔、大輔、工部卿など工学関連の重職を任された。新たに創設された法制局の初代長官も務めている。
のちの東京大学工学部の前身となる工学寮を創立。
聾を患う身体障害者の人材教育に熱心に取り組み、明治10年(1876年)には日本初の盲聾学校を設立した。
伊藤博文・井上馨・井上勝・遠藤謹助・山尾の5人は、長州五傑と呼ばれた。
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