ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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遠山の金さんと天保の改革.txt

遠山景元
青年期は複雑な家庭環境から家を出て、町屋で放蕩生活を送るが後に帰宅、家督相続後、勘定奉行、町奉行に就く。天保の改革の実施に当たっては、強行派の南町奉行の鳥居耀蔵や老中水野忠邦と対立しながらも様々な政策を実施する。水野忠邦が鳥居の進言を受けて芝居小屋を廃止しようとした際、景元はこれに反対して、浅草猿若町への小屋移転だけにとどめた。すなわち、この遠山の動きに感謝した関係者がしきりに遠山を賞賛する意味で『遠山の金さん』ものを上演したのである。鳥居や水野との対立が遠山イコール正義、鳥居イコール悪役を作り上げた(もっとも、鳥居はそれ以前より民衆の評判は悪かった)。
天保14年(1843年)、鳥居の策略によって北町奉行を罷免され、当時は閑職となっていた大目付になる(地位は上がったが実質的には名ばかり)。2年後、逆に遠山から水野への讒言によって(ただし、水野自身も自分をかつて失脚させた鳥居を退けようとしていたため、共犯関係にあったものと推測される)鳥居が失脚し、南町奉行として返り咲いた。同一人物が南北両方の町奉行を務めたのは、極めて異例のことである。その後、水野の後を受けて政権の地位に座った阿部正弘からも重用された。
嘉永5年(1852年)に隠居すると、剃髪して帰雲と号し、61歳で死去。
墓所:東京都豊島区西巣鴨の本妙寺(江戸時代は文京区本郷にあった)。
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