ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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旅行大好き皇帝ハドリアヌス.txt

ハドリアヌス(76年1月24日 - 138年7月10日)
ハドリアヌスプブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌスはローマ帝国の皇帝。五賢帝の3人目に数えられる。
彼の皇帝就任時、先代トラヤヌス帝の積極策により帝国版図は最大となっていた。このため、その治世を通じて帝国領土の防衛や、各地で起こる反乱への対処、統治機構の整備など、帝国内部の充実に努めた。帝国全域を視察したことも、こうした状況を踏まえたものであった。
内政面では、統治機構の整備を徹底。特に彼の構築した官僚機構は後世の規範となった。行政改革が済んだ後は、当人の好奇心も手伝って帝国各地の視察に着手した。
視察は、少数の随行者を連れるだけであり、抜き打ちで行われた。この中で彼は、インフラ整備から軍備再編まで一つ一つに直接指示を出し、徹底して合理化を行った。特に国境であるライン川やブリタニア(現・イギリス)などにおいては、異民族の侵入に備え防衛線の強化に力を入れた。一方で、メソポタミアなど防衛・維持が困難な地域は放棄しており、常に現実的判断を下していたといえる。またその行動には、国境を示しそれ以上の拡大を戒める意図もあった。これについては、ブリタニアに建造した「ハドリアヌスの長城」と呼ばれる長城の遺跡が有名である。このように全属州を視察し自身の目で地方を見ることで、現場主義ならではの諸々の改革を行うことができた。しかし、首都ローマを長く留守にしたため元老院の評価は芳しくなかった。そのために彼の死後、ハドリアヌスもドミティアヌスのように記録抹殺刑に処しようという意見が元老院で出されたが養子となり後を継いだアントニヌス・ピウスが必死になってそれを阻止したと言う経緯がある。

ハドリアヌスは政治的にも上記のような優れた功績を収めたが、軍事面にも優れていた。軍紀の改正による軍内部の改革、自身が用兵術に長けていたことからローマ軍は連戦連勝であった。また軍隊内では一兵卒と変わぬ生活をし、戦闘では陣頭指揮を執ったため、トラヤヌス帝の積極策から消極策への転換は士気の低下には繋がらなかった。

135年にはバル・コクバの乱を鎮圧し、その後かつてのユダヤ戦争のときに破壊され放置されていたエルサレム市を、自らの氏族名アエリウスにちなんだ植民市アエリア・カピトリーナとして再建した。しかしユダヤ人はそこでの崇拝を禁止された。このくだりは、現代フランスの作家ユルスナールの著作『ハドリアヌス帝の回想』でも有名である。

文化面では、大規模な別荘ウィラ・ハドリアヌスをティヴォリに造営し、後世の新古典主義建築に大きな影響を与えた。118年には、今日まで残るパンテオン神殿の再建に着手している。
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