ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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毒殺に使われたヒ素の歴史

★以下『ウィキペディア』より抜粋
1250年にアルベルトゥス・マグヌスにより発見された.。
ヒ素は無味無臭かつ、無色な毒であるため、しばしば暗殺の道具として用いられた。
ルネサンス時代にはローマ教皇アレクサンデル6世(1431年 ~1503年)と息子チェーザレ・ボルジア(1475年 ~1507年)はヒ素入りのワインによって、次々と政敵を暗殺したとされる。
入手が容易である一方、体内に残留し容易に検出できることから狡猾な毒殺には用いられない。そのためヨーロッパでは「愚者の毒」という異名があった。

アレクサンデル6世(在位1492年 - 1503年) は15世紀のローマ教皇 。
ロドリーゴ・ボルジアの名前で知られる。
ルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さ、強欲さやサヴォナローラとの対立によっても非難されることが多い。また、息子のチェーザレ・ボルジアを右腕とし、一族の繁栄と教皇庁の軍事的自立に精力を注いだことで、イタリアを戦火に投じることになった。
一般的には「史上最悪の教皇」という評価を受けがちだが、一部には「指導力を備えた君主」という意見もある。

P.S 織田信長が上杉謙信と武田信玄をヒ素で毒殺したという
  先日放映された歴史バラエティの説はなんか嘘っぽいな。
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