ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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織田信長の巨大鉄船

戦国の革命児、織田信長は当時世界でも例のない船を造った。木造船を鉄板で覆った装甲艦ともいうべき巨大な鉄の船だ。技術的にも困難を極めた鉄船を、信長はなぜ造ったのか。
当時、信長は大坂本願寺との戦いのさなかで窮地に陥っていた。毛利氏配下の村上水軍の火攻めによって織田水軍は壊滅、反信長勢力が勢いづいていた。そこで「火攻めでも燃えない鉄の船」を造らせた。鉄船とその行動について記述がみられる当時の史料は「多聞院日記(当時の僧侶の日記)」、「耶蘇会士日本通信(宣教師オルガンティーノの手紙)」、「信長公記(織田信長の伝記)」。
鉄船のサイズについて
鉄船のサイズを全長32.4メートル、幅10.8メートル。

◎その後の鉄船
鉄船は、毛利・村上水軍を破ったのち、堺を本拠にして航路を守っていた。さらには、荒木村重が謀反したときには、海上から有岡城へ大筒を放っている。本能寺の変のとき、信長は鉄甲船で淡路へ渡り、三男・信孝、三好長康への四国領を確定し、それから中国地方へ行く予定だったようである。そのため、船に乗せられる人員を考慮して、本能寺の警護は少なかったという説もある。
その記述を最後にして、以降はどこにも出てこない。
これまでの流れから見れば、九鬼嘉隆が志摩へ回航したと思われるが、それすら記録が残っていない。
豊臣秀吉の朝鮮出兵に使用された際には、船足が遅くまるで役に立たなかったとも伝えられている。
波の高い東シナ海のような外洋向きの船ではなかったのだろう。

◎九鬼嘉隆の首塚
三重県鳥羽市から市営定期船で答志島・和具港へ30分。港から徒歩10分、小さな山頂にある。拝観自由。
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歴史人物スクープ91

仕事の移動時間の暇つぶしになった色んな裏話が載っていてなかなか面白かったです。なかなかおもしろいです。・それでは・・・・嘉納治五郎・嘉納治五郎・素数に憑かれた人たち・160748 血塗られたアメリカの歴史?~コロンブスは「勇敢な ...・織田信長の巨大鉄船・栄家の血

  • 2007年09月20日
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