ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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なぜ鑑真は日本の政府に来日を懇願されたのか?

先日、職免研修を利用して、鑑真和上展(福岡市博物館)へ。
教科書にも必ずのっている国宝鑑真和上像は想像していたより、小さい。
しかし肖像彫刻の傑作との評判通り、崇高な鑑真の人柄が伝わって
きました。
日本行きを反対する高弟にいった鑑真の言葉。
「何ぞ身命を惜しまん。諸人ゆかずんば、我すなわちゆかんのみ。」

☆鑑真 688~763 
中国、唐代の僧で、日本律宗の開祖。742年、当時伝律授戒の師をもとめて唐にわたっていた日本僧の栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)から日本渡航を懇願され、弟子とともに日本にいくことを決意する。暴風や、出国をねがわない弟子による妨害のために5回も失敗し、高弟をうしない、みずからも失明するという苦難のすえ、ようやく753年(天平勝宝5)、来朝をはたした。日本では、伝律授戒の権限をまかされ、東大寺に戒壇をきずいて聖武上皇などに授戒した。759年唐招提寺を創建して、日本律宗の中心的道場とした。鑑真は仏像、経典をもたらしただけでなく、書、医薬、建築様式などの文化面でも大きな貢献をした。伝記に、鑑真に帰依した淡海三船(おうみのみふね)による「唐大和上(とうだいわじょう)東征伝」がある。

★なぜ鑑真は日本の政府に来日を懇願されたのか?
仏教では、新たに僧尼となる者は、戒律(かいりつ)を遵守することを誓う必要がある。戒律のうち自分で自分に誓うものを「戒」といい、僧尼の間で誓い合うものを「律」という。
律を誓うには、10人以上の正式の僧尼の前で儀式(これが授戒(じゅかい)である)を行う必要がある。これら戒律は仏教の中でも最も重要な事項の一つとされているが、日本では仏教が伝来した当初は自分で自分に授戒する自誓授戒が行われるなど、授戒の重要性が長らく認識されていなかった。
しかし、奈良時代に入ると、戒律の重要性が徐々に認識され始め、授戒の制度を整備する必要性が高まっていた。税を逃れるために私度僧になる農民が激増したからである。
政府は授戒できる僧を探すため栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)を唐に派遣した。彼らは戒律の僧として高名だった鑑真のもとを訪れ、日本に来てくれるように説得した。日本の国家的要請を受けた鑑真は、弟子に問いかけたが、誰も渡日を希望する者がいなかった。そこで鑑真自ら渡日することを決意し、それを聞いた弟子21人も随行することとなった。その後、日本への渡海を5回にわたり試みたがことごとく失敗し、両目も失明する。そして6回目の航海で成功し、実に10年の歳月を経て薩摩坊津に無事到着し宿願の渡日を果たす。その後、鑑真が日本にもたらした厳しい授戒制度によって税金逃れで僧になるものはいなくなり、誰もが自由に僧侶になれる時代は終わりを告げたのである。
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