ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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フランスではギロチンによる処刑は1981年まで行われた。

ギロチンは、1792年4月25日にフランスで正式に処刑道具として認められたものである。刃が斜めになっており刃についているおもりによってすばやく切り落とすことができ、従来の処刑器よりも苦痛を与えないと言われる。ルイ16世やマリー・アントワネットがこれによって処刑されたのは有名である。

当時はフランス革命後の恐怖政治により、毎日何百人もの人が処刑されていた。貴族は断首、平民は絞首刑と区別されており、また断首の場合、首切り役人が熟練していないと、何度も切り付けて受刑者に多大な苦痛を与えることが多かった。
そこで、内科医で国民議会議員だったギヨタンが、受刑者に無駄な苦痛を与えず、しかも身分に関係せず同じ方法が適用できる、「単なる機械装置の作用」によって「人道的」な処刑を行うよう議会で提案した。ギヨタン医師の提案は初め嘲笑を以て迎えられたが、ギヨタン医師の再度の提案と説得によりその案が採択された。
当初はギロチンの刃が内側に反っていたため切れ味が悪く、一撃で罪人の首を飛ばすことは難しかった。
そのため、フランス国王ルイ16世が、刃を外側に反り返らせることを提案した。これにより、ギロチンの殺傷力は格段に上昇した。のちにルイ16世自身が改良したギロチンで処刑されたということは歴史の皮肉というほかないだろう。また、恐怖政治を主導し、受刑者をギロチン台に送り続けたロベスピエールも最後はギロチンの露と消えた。このように、フランス革命期すべての党派を次々と呑み込み処刑する状況は、当時の人々によって「ギロチンの嘔吐」と呼ばれた。なお、ギヨタン自身もギロチンで処刑されたという俗説があるが、これは誤りである。

フランスでは、1981年9月に死刑制度自体が廃止されるまで、ギロチンが使用されていた。他に使用されていた国として、ナチス・ドイツやベトナム戦争時の南ベトナムがある。
またギロチンで処刑された後に、生首が瞬きをすることがある。実際に自ら処刑後に人は意識があるのかを確かめた人物もいる(化学者のラヴォアジエ)が、これは筋肉の痙攣によるものとされており、斬首の瞬間に血圧が変化し意識を失うので、意図的に瞬きをすることは出来ないというのが通説である。
国内では明治大学博物館に唯一展示・収蔵されており、見学することが出来る。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

☆市民の気晴らしだったギロチンの公開処刑
フランスではギロチンによる処刑は、長い間一般に公開された。
そのたびに刑場にはフランス各地から大勢の野次馬が集まってきた。
彼らにとって、処刑は最高の気晴らしの一つだったのだ。
フランスにおける最後の公開ギロチン処刑は、1939年のワイトマンなる殺人犯の処刑である。いつものように大変なお祭り騒ぎになったため、政府はもう二度と同じ事を繰り返すまいと決意したという。
出典『処刑台から見た世界史』桐生操
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