ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本はベネチアと同じ運命を歩むのか

2011/01/01, 日本経済新聞 朝刊, 1ページより引用
国際政治学者の故高坂正堯の「文明が衰亡するとき」によると、13~14世紀の地中海世界に君臨したベネチアは、
16世紀後半以降に「内なる変化」にさらされた。喜望峰ルートの発見という当時の「グローバル化」の影響を見誤り、「守旧的性格」が強まった。
 「冒険を避け、過去の蓄積で生活を享受しようという消極的な態度」がまん延し、貴族男子の未婚比率は60%に
上昇した。「生活水準を維持したいという気持ちから子孫を増やさない」ためだった。長引くデフレ、人口減、政府債務の累増……。課題が一挙に押し寄せる今の日本も、「過去の蓄積」にすがりつく気分が強いようにみえる。このままでは後の世代へのツケ回しで国家が溶解しかねない。

スポンサーサイト

サイゼリヤ

村上龍氏の「逃げる中高年、欲望のない若者たち」より抜粋

最近わたしはびっくりした。「サイゼリヤ」というファミレスである。ファミレスにはほとんど行かなくなったが、カンブリア宮殿というわたしがインタビュアーをつとめるテレビ番組のゲストにサイゼリヤの会長が出演することになって取材がてら食べに行ったのだった。何がびっくりしたって、その安さとおいしさだ。
 平日のランチ時に行った。住宅街の近くにある店だった。
まずその値段の安さにびっくりする。前菜でオーダーしたパルマ産の生ハムは、大判2枚とパンがついて399円、こぶりのモンツァレラチーズ3個とトマトが299円、ハウスワインのグラス売りは100円だった。
もっと驚いたのは、パルマ産の生ハムが紛れもない本物だったことだ。
中田英寿が現役でパルマに所属していたころ、わたしは何度も彼の地を訪れ、ミラノやボローニャなどを含めて、かなりの量の生ハムを食べたが、サイゼリヤは、本場にまったく劣らない味だったのだ。ほとんど同じランクの同じ大きさの生ハムが数枚入った真空パックを成城石井や紀ノ国屋で売っているが、2000円近くする。
サイゼリヤの生ハムは真空パックのものより安くておいしい。カンブリア宮殿に出演した会長にそのことを聞いてみると、ブロックで輸入してスライサーでカットしているらしい。でも、生ハムはあまり
注文がないのだと言っていた。
モンツァレラチーズもまさしくバッファローの新鮮な本物で、本場イタリアの、たとえば高速道路のドライブインのものよりは品質が遙かに上だった。
何でこんなにハイレベルの食材がファミレスにあるんだ、とつぶやきながら、わたしは満足してハムとチーズを味わった。ワインも本物で、フィレンツェで飲むキャンティのテイストが維持されていた。ミラノ風ドリアは299円、パルマ風スパゲッティ(トマト味)は399円、サラミとパンチェッタのピザが399円で、全部味は確かだった。
特にピザと、スパゲッティ・ポモドーロは、本場イタリアでも通用するような「本物」の味と茹で具合で、本当にびっくりした。そう言えば、02年のw杯で来日したイタリア人のサッカー記者たちが毎晩サイゼリヤに通っているという噂があった。こんなに安くてちゃんとしたパスタやピザはイタリアにもないと言っていたらしい。
やがてイタリア人だけでなく、ヨーロッパのサッカー記者たちは大挙してサイゼリヤに通うようになったそうだが、彼らは「非常に安くておいしいイタリアンのチェーン店がある」という記事を絶対に書かなかった。物価が高いという理由で本社からもらっている「日本滞在特別手当」が打ち切られてしまうからだ。

だいたい私は、都内にあるイタリアンの有名店が好きではない。出入り禁止になるので名前は書けないが、西麻布や広尾や神宮前や銀座にあるイタリアンはあれほど高い金を取るほどの味ではない。もともとイタリアンは家庭料理なので高いレストランは現地には非常に少ない上に、フレンチ風なソースがかかっていたりしておいしいと思ったことがあまりない。サイゼリヤは本物だった。そして、これほど安くて本物の味だったら、この大不況で苦戦を続けるファミレスチェーンの中で売り上げを伸ばし続けているのも当然だと思った。逆に言えば、このくらいの味でこれだけ安くしなければ客は来ないということだ。だが、他の客たちは、本当にそのすごい味と店の努力をわかっているのだろうかと疑問に思った。もちろん店の努力が伝わるかどうかは問題ではないのだが、どれだけのレベルのものなのかがわからないまま食べている気がした。
たとえて言えば、フランスの街道沿いに、日本の街道沿いにあるかなりおいしそば屋よりいもおいしくて安いフラン人経営のそば屋があるのと同じだ。フランス人がそばを食べる可能性は低いので、うまい例えではないかもしれないが、とにかくどこかが異様だ。たとえば、私の隣のテーブルでは、幼稚園児たちがピザとパスタを食べていたが、幼稚園
から本場のイタリアンを食べるのは、どこか不自然ではないだろうか。彼らが成長してイタリアを訪ねても、きっと食では感動しないだろう。現在、小売業の勝ち組は、マクドナルド、アパレルのユニクロ、靴のABCマート、家具のニ
いずれも、品質の悪さを安さでカバーするというようなコンセプトからはとっくの昔に決別した商品を世に送り出している。
ユニクロの服を着て、ABCマートで買ったスニーカーを履き、ニトリの家具のあるアパートに住んで、マクドナルドやサイゼリヤで食事し、ヤマダ電機で買った薄型テレビとパソコンで遊ぶ、そういった生活はおそらくわたしたちが学生だった頃より数百倍快適だろう。 だが、何かが失われるような気もする。それが、失われてもいいものなのか、それとも失われるとやばいものなのか、それはまだわからない。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。