ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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なぜ桓武平氏や清和源氏が生まれたのか?.txt

奈良時代の皇統(天皇の血筋)が断絶したことを教訓として、平安時代には安定した皇位継承のため、多くの皇子をもうけることがよく行われた。しかし、実際に皇位継承できる皇子はごく少数に限られ、平安前期から中期にかけて、皇位継承の道を閉ざされた皇族が多数発生することとなった。
これらの皇族に対しても律令の定めにより一定の所得が与えられることで財政を圧迫する要因となったため、皇位継承の可能性がなくなった皇族たちを臣籍降下させることが行われるようになった。また、この頃になると、皇族が就任できる官職が限定的になり、安定した収入を得ることが困難になったために、臣籍降下によってその制約を無くした方が生活が安定するという判断から皇族側から臣籍降下を申し出る例もあった。だが、臣籍降下して一、二代ほどは上流貴族として朝廷での地位を保証されたが実際には三代以降はほとんどが没落して地方に下向、そのまま土着し武士・豪族となるしかなかったのである。

☆清和源氏の起源
清和源氏の起源は、清和天皇の第六皇子貞純親王の子である経基王が臣籍降下により源姓を賜ったことに遡る。源経基の名跡を継いだ源満仲は、摂津国川辺郡多田(現・兵庫県川西市多田)を本拠地として源氏武士団を形成した。酒呑童子退治などで有名な満仲の長男の源頼光も、摂津国に拠点を置いたことから摂津源氏と呼ばれる。摂津源氏の中で多田に土着する系統を多田源氏といい、傍流からは美濃に土着した美濃源氏が輩出される。満仲の次男の源頼親の系統は、大和国宇野(現・奈良県)を本拠地としたことから大和源氏といわれる。また、満仲の三男の源頼信の系統(厳密に言えば、義忠・義時流)は、河内国壷井(現・大阪府羽曳野市壷井)を本拠としたことから河内源氏といわれる
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