ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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N・Y在住の友人TからのE-mail(2007/12/25)

ご無沙汰してます。
転勤になりました。
ついに〝ロンドン〟
1月初旬より赴任になります。
積年の夢でした。私にとっては〝旅〟の始まった場所です。
そして来年はEUROもあるし、セルティックの試合も見れるし、
チャンピオンズリーグも見れる。
スペイン、イタリアもすぐ。近年のヨーロッパ域内でのLCC
(LOW COST CARRIER)の勢いはすさまじい。
でも、これで終わりではなく、彼の地で何を成すか、だと
自覚しています。
愉しみつつ、今まで以上のプレッシャーの中で頑張って
参りたいと思っています。
また滞在先など決まったら連絡させていただきます。


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温故知新

新しいことを考えるのに、すべて自分の頭の中から絞り出せると思ってはならない。
無から有を生ずるような思考などめったに起こるものではない。
すでに存在するものを結びつけることによって、新しいものが生まれる。
 『思考の整理学』外山滋比古

歴史を学ぶ効用も、その一つかもしれない。言い古された言葉ですが、温故知新・・・。

伊達政宗が派遣した「慶長遣欧使節団」(支倉常長).txt

以下、「その時歴史が動いた」のサイトより抜粋引用。

戦国の世も終わりを告げる頃、奥州の覇者として頭角を現した武将、伊達政宗。政宗は、東北の地にあって天下への野心を抱き続けた。しかし、政宗の前に、次々と強敵が立ちはだかる。
まずは九州平定を終えて天下統一の総仕上げに取りかかっていた豊臣秀吉。政宗は、秀吉に領土のほとんどを奪われた。新たに与えられたのは荒れ果てた土地。しかしその地で、政宗は豊富に産出されるな金や鉄に出会い、力を蓄え続けた。
ところが次には江戸幕府を開いた徳川家康が、政宗の行く手を阻んでいく。家康によって次第に経済力を奪われ、窮地に追い込まれる政宗。政宗は海外に目を向け、ヨーロッパの強国スペインとの通商によってみずからの財政の立て直しを図ろうとした。その交渉のために、支倉常長率いる慶長遣欧使節団の派遣に踏み切る。
さらに、政宗のそば近くにいたスペイン人宣教師がスペイン宰相へ宛てた書簡からは、政宗が使節派遣に賭けたもう一つの狙いが浮かび上がってきた。それは、幕府によって迫害を受ける日本のキリシタン30万人の力をバックに幕府を倒し、自ら天下人なるという政宗の構想だった。政宗は、慶長遣欧使節団に最後の夢を託したのである。


①政宗の金の保有量
慶長3年の「豊臣氏収納金運上高」について記した山口啓二『幕藩制成立史の研究』にもとづき作成。
これによれば、政宗の金の運上枚数は700枚で、越後の上杉に次ぐ数。このことから、政宗が金を保有する全国でも指折りの大名であったとコメント。
②江戸城の石垣工事で27億円の出費を課せられたことについて
元和6(1620)年の江戸城石垣工事の際の出費、約2万7千両(『伊達治家記録』『仙台市史』の記述より)を、現在の貨幣価値に換算。日本銀行貨幣博物館の試算では、江戸時代初期、金一両の価値がおよそ10万円であったと考えらる。それにもとづき、現在の価値でおよそ27億円の出費を課せられたとした。
③仙台藩の収入を89億円とした根拠について
元和6(1620)年の仙台藩の石高、61万5千石を基準に、年貢率を4公6民、米一石を銀18匁、銀1匁を金一両の50分の1、金一両の現在の価値をおよそ10万円として計算した結果、89億円とした。
④江戸での普請が続いた頃の政宗の言葉
「とかく年々、幕府からの普請の沙汰が続き、藩の財政が苦しい」
政宗が家臣の茂庭石見綱元に宛てた書状(仙台市博物館蔵)から一部引用、意訳。
⑤ソテロがスペイン宰相に送った書簡について
「政宗は、迫害を受けている日本の30万人のキリシタンの力を得て幕府を倒し、みずから皇帝となって帝国を築こうとしている」

★支倉常長
元亀2年(1571年) - 元和8年7月1日(1622年8月7日))は江戸時代初期の武士である。伊達政宗の家臣。慶長遣欧使節団を率いてヨーロッパまで渡航し、ローマでは貴族に列せられた。
仙台藩士。山口常成の子で支倉時正の養子となる。幼名は与市・六右衛門長経、洗礼名はドン・フィリッポ・フランシスコ。時正に実子が生まれたため家禄1200石を二分し、600石取りとなる。文禄・慶長の役に従軍して朝鮮に渡海、足軽・鉄砲組頭として活躍した。また大崎・葛西一揆の鎮圧にあたった武将の一人としてもその名が記録されている。
慶長14年(1609年)、前フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がヌエバ・エスパーニャ(現在のメキシコ)への帰途台風に遭い、上総国岩和田村(現在の御宿町)の海岸で座礁難破した。地元民に救助された一行に、徳川家康がウィリアム・アダムスの建造したガレオン船を贈りヌエバ・エスパーニャへ送還した。この事をきっかけに、日本とエスパーニャ(スペイン)との交流が始まった。
そして伊達政宗の命を受け、支倉常長はエスパーニャ人のフランシスコ会宣教師ルイス・ソテロ(Luis Sotelo)を正使に自分は副使となり、遣欧使節として通商交渉を目的に180人余を引き連れローマに赴くことになった。石巻で建造したガレオン船サン・フアン・バウティスタ号で慶長18年9月15日(1613年10月28日)に月ノ浦を出帆し、ヌエバ・エスパーニャ太平洋岸のアカプルコへ向かった。アカプルコから陸路大西洋岸のベラクルスに、ベラクルスから大西洋を渡りエスパーニャ経由でローマに至った。
支倉常長の行程1615年1月30日(慶長20年1月2日)にはエスパーニャ国王フェリペ3世に、同11月3日(元和元年9月12日)にはローマ教皇パウルス5世に謁見するが通商交渉は成功せず元和6年8月24日(1620年9月20日)、帰国した。
政宗の期待のもと出国した常長ではあったが、出国直後から日本国内でのキリスト教環境は急速に悪化した。常長の帰国後の扱いを危ぶむ内容の政宗直筆の手紙が残されている。果たして帰国時には日本ではすでに禁教令が出されており、失意のうちに死んだ。寛永17年(1640年)、息子の常頼が召使がキリシタンであったことの責任を問われて処刑され、支倉家は断絶した。
寛文8年(1668年)、常頼の子の常信の代にて赦され家名を再興することが出来た。仙台藩においては主命により引き起こされた事態であるため、忸怩たる物があったようだ。
常長の墓といわれるものは宮城県内に3ヵ所存在する。仙台市青葉区北山にある光明寺、常長の生まれ故郷とも言える川崎町支倉地区の円福寺、そして大郷町に存在する。

常長らが持ち帰った「慶長遣欧使節関係資料」は仙台市博物館に所蔵されており、平成13年(2001年)に国宝に指定されている。その中には常長の肖像画があり、日本人を描いた油絵としては最古のものとされる。資料の中に名をfaxikuraとつづった部分があり、当時ハ行を唇音で発音していた証拠となっている。また、常長自身が記録した訪欧中の日記が文化9年(1812年)まで現存していたが、現在は散逸しており幻の史料となっている。

宝くじ

宝くじを10枚買うとして、一等(2億)が当たる確率は、1,000,000に一人。
0,00010%の確率で当たる。
100kgの米の中から1粒の米粒を探し出すのと同じくらいの確率だとか・・・・。

①当せん金品の支払い
宝くじの当せん金については、所得税は課されない。しかし、「当せん金には、所得税がかかりません」という記述からか、いまだに住民税はかかると誤解している人が多いが、住民税は所得税がかかる所得に対してのみかかるものであるため、当せん金には住民税もかからない。
1,000万円以上の高額当せん者には、当せん後のアドバイスが書かれた本
『その日から読む本』が配られている。

②『その日から読む本』
宝くじの当せん金が高額化したことや、当せん者数が増加したことに伴い、突如にして「億万長者」となってしまう人が増えていった。しかしその半面で、その高額な当せん金を浪費して破産したり、詐欺に遭ったり、財産トラブルに巻き込まれたりと、逆に不幸になってしまう当せん者も増えていった。そのため、このような悲劇を防ぐことに加え、高額当せん者ならではの悩みに対応するため、心の持ち方や当せん金の使い道などについて説明する「ハンドブック」が求められるようになった。そこで全国自治宝くじの発売元である、全国の都道府県と指定都市では、ジャンボ宝くじの当せん金が大幅に引き上げられるのに伴い、弁護士や臨床心理士、ファイナンシャル・プランナーなど、専門家の意見も参考にしてこの本を作成し、2001年から配布を開始した。

フレイ、グラミー賞2部門にノミネート(2006.12.12).txt

昨年9月アルバム『how to save a life』で全米デビュー(日本は今年の8月)。
ロングセールスで現在150万枚の大ヒットし、話題のアーティスト/フレイが、<現地時間>来年2/11(日)に行われるグラミーアウォードで2部門ノミネート。

しつこいようですが、The Frayって聞き飽きこないバンド
なんですよね(苦笑)
http://jp.youtube.com/watch?v=TmFi2snLr7o

P.S この曲がきっかけで僕はこのバンドの虜に・・・・。
http://jp.youtube.com/watch?v=0gtTcQYH0Zs

映画「再会の街で」2008年1月5日(土)シネシーブル博多駅で公開

監督:マイク・バインダー
主演: アダム・サンドラー、ドン・チードル、リヴ・タイラー

キャリアと愛する家族に恵まれた歯科医・アラン(ドン・チードル)と、9.11の飛行機事故で妻子を失くし、キャリアを捨ててしまった元・歯科医のチャーリー(アダム・サンドラー)。大学時代のルームメイト同士だった2人はある日、ニューヨークの街角で再会する。ボサボサの髪に汚らしい格好のチャーリーを見て彼を心配するアランだったが、昔のような楽しい時間を一緒に過ごしていくうちに、むしろ彼の自由な生活を羨むようになる。ただ一つ、亡くした家族の話が出ると別人のように怒り狂うチャーリーを放っておけないアランは、彼をセラピーに連れて行こうと試みるのだが…。
http://jp.youtube.com/watch?v=sRiqz_WnYxc
この予告編で効果的に使われている曲がThe Frayの“How to Save a Life”
WeezerやBen Foldsの前座で培われた底力を秘めた期待の新星。
KeaneやColdplayを彷彿とさせるが、個人的には最近一番聞いているバンド。

九州初の大人の自習室がオープン

『集中できる時間と空間』
有料自習室・天神シティライブラリー
 [問合せ:℡092-406-0381]
 アクセスの良さ抜群の福岡・天神2丁目に「有料自習室」が誕生。
 (福岡銀行本店昭和通り沿い側玄関のすぐ西隣/天神ホワイトビル7階)
http://www.academic-invention.com/
【料金システム】
1.「時間貸し制」は、最初の1時間が500円、以降30分につき、200円ずつの課金。
2.「定期パス制(いずれも利用期間1か月。)」は、利用パターンに合わせて4種類。
①『マンスリーパス』・・・・・・22,000円(完全フリーパス)
②『受験生パス』・・・・・・・・19,500円(中高生向けの時間限定フリーパス)
③『ウィークデイナイトパス』・・15,000円(社会人向けの曜日・時間限定フリーパス)
④『1時間回数パス』・・・・・・3,000円

【開館曜日・時間】
平日:10~23時、土曜・祝日:10~18時日曜:休館日

【蔵書】
日経産業新聞、日経MJ、AERA、読売ウィークリー、週刊東洋経済、週刊ダイヤモンド、プレジデント、日経ビジネスAssocie、日経おとなのOFF、日経ウーマン、就職ジャーナル、セオリー、アントレ、CASAブルータス、LEON、OCEANS、AERA・ウィズ・キッズ、プレジデントファミリー、Domani、CLASSY。論座、中央公論、婦人公論、三田評論、三田ジャーナル等々
 ビジネス向け新書、文庫、ハードカバーは新刊を中心に用意。
 語学系ではドイツ語が充実。各外国語辞典も有(欧州言語のみ)。
 息抜きにマンガも若干用意。「島耕作」シリーズ、横山光輝「三国志」全30巻、あだち充「ショートプログラム」、江口寿志の幻の短編集「爆発ディナーショー」、わたせせいぞう「ハートカクテル全6巻」など。

2008年8月2日~12月14日 フェルメール展.txt

【会場】東京都美術館 企画展示室
【日時】2008年8月2日(土)~12月14日(日)
    月曜休室(ただし月曜が祝日の場合は開室し翌日休室)
    午前9時~午後5時(入室は午後4時30分まで)
【主催】東京都美術館、TBS、朝日新聞社

展覧会のみどころ
 フェルメールが発する光は、観る人の眼から入り胸の奥の幸福の扉を照らしだす。西洋美術史上、最も才能溢れる画家、三十数点しか現存しない作品により謎のベールに包まれた画家、ヨハネス・フェルメール。350年以上の時を経て、いま世界中で最も熱く高い脚光を浴びている。
 独特な光の質感と知性的なタッチで人を魅了する絵画の中で、とくに評価の高い作品群が奇跡のように集まった。
 日本初公開の作品もふくめ、かつてこれほどの傑作が日本で一堂に会したことはない。おそらくこれが最初で最後の展覧会となるだろう。

☆ヨハネス・フェルメール(Johannes Vermeer, 1632年10月31日-1675年12月15日)
17世紀にオランダで活躍した風俗画家である。レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされる。生涯のほとんどを故郷デルフトですごした。
最も初期の作品の一つ「マリアとマルタの家のキリスト」(1654-55頃)にみられるように、彼ははじめ物語画家として出発したが、やがて1656年の年記のある「取り持ち女」の頃から風俗画家へと転向していく。 静謐で写実的な迫真性のある画面は、綿密な空間構成と巧みな光と質感の表現に支えられている。
現存する作品点数は、研究者によって異同はあるものの33~36点と少ない。このほか記録にのみ残っている作品が少なくとも10点はあるが、記録に残っていない作品を勘案しても22年の画歴に比してやはり寡作というべきだろう。

①生涯
1632年10月31日にデルフトに生まれる。絹織物職人として活動するかたわら居酒屋・宿屋を営んでいた父は、ヨハネス誕生の前年に画家中心のギルドである聖ルカ組合に加入している。10年後の1642年にはフェルメールの家として知られる「メーヘレン」に転居した。
1653年にカタリーナ・ボルネスと結婚したフェルメールは、同年末に聖ルカ組合に加入している。従ってこれ以前に画家としての本格的な修行を積んだことになるが、デルフト以外の場所でのことだったようだ。
1662年と1670年の2度にわたって画家の組合である聖ルカ組合の理事に選出されており、生前から画家として高い評価を受けていたことが伺われる。
1675年にデルフトで死去。43歳没。同郷同年同月生まれの織物商であり博物学者としても知られるレーウェンフックが死後の遺産管財人となった。

②「忘れられた画家」と再発見
聖ルカ組合の理事に選出されていたことからも明らかなように、生前は画家として高い評価を得ていたらしい。しかしながら、死後フェルメールの名は急速に忘れられてしまう。
1866年にフランス人トレ・ビュルガーが著した論文が、フェルメールに関する初の本格的なモノグラフである。当時フェルメールに関する文献資料は少なく、トレ・ビュルガーは自らをフェルメールの「発見者」として位置付けた。しかし、実際にはフェルメールの評価は生前から高く、決して「忘れられた画家」だったわけではない。トレは研究者であっただけでなくコレクターで画商であったため、フェルメール「再発見」のシナリオによって利益を得ようとしたのではないかという研究者もいる。
その後、マルセル・プルーストやポール・クローデルといった文学者などから高い評価を得たこともあり、再び脚光を浴びることとなる。

③贋作事件
トレ・ビュルガーがフェルメールの作品として認定した絵画は70点以上にのぼる。これらの作品の多くは、その後の研究によって別人の作であることが明らかになり、次々と作品リストから取り除かれていった。20世紀に入ると、このような動きと逆行するようにフェルメールの贋作が現れてくる。中でも最大のスキャンダルといわれるのがハン・ファン・メーヘレンによる一連の贋作事件である。
この事件は1945年ナチス・ドイツの国家元帥ヘルマン・ゲーリングの妻の居城からフェルメールの贋作「キリストと悔恨の女」が押収されたことに端を発する。売却経路の追及によって、メーヘレンが逮捕された。オランダの至宝を敵国に売り渡した売国奴としてである。ところが、メーヘレンはこの作品は自らが描いた贋作であると告白したのである。さらに多数のフェルメールの贋作を世に送り出しており、その中には「エマオのキリスト」も含まれているというのである。「エマオのキリスト」は1938年にロッテルダムのボイマンス美術館が購入したものであり、購入額の54万ギルダーはオランダ絵画としては過去最高額であった。当初メーヘレンの告白が受け入れられなかったため、彼は法廷で衆人環視の中、贋作を作ってみせたという。「エマオのキリスト」は、現在でもボイマンス美術館の一画に展示されている。

『ボーン・アルティメイタム』と情報網エシュロン.txt

『ボーン・アルティメイタム』を遅ればせながら見る。
アクションもさることながら、エシュロンの描き方が興味深い。
詳しいレビュー(批評)はこちら。
http://movie.maeda-y.com/movie/00989.htm
☆エシュロン
エシュロン (ECHELON) は、アメリカ合衆国により軍事目的で作られた電話、ファックス、電子メールメッセージなどを傍受するスパイ組織網である。国家安全保障局 (NSA)が主導となり運営している。冷戦時代にソ連を意識して作られたが、冷戦後は軍事目的での使用が減り、代わりに各国において産業スパイとして使われているのではないかと懸念されている。
①概説
世界中に張り巡らされたエシュロンは、世界の情報のほとんどを入手することが可能な状態になっており、運用の際は、あるキーワードを入力することによりフィルタリングされたデータが『辞書』と呼ばれるデータベースに蓄積され、それを10万人と推定される情報要員がスーパーコンピュータなどを用いてモニタリングする仕組みになっている。
現時点で参加している国々は、アメリカ合衆国、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど、“英米同盟”(UKUSA、ウクサ。United Kingdom & United States of America)とも称される、英語を母国語とするアングロサクソン諸国である。UKUSAは、1948年にアメリカとイギリスとの間で締結された通信情報に関する秘密協定であるUKUSA協定が結ばれたことに始まり、カナダ・オーストラリア・ニュージーランドは2次メンバーとして後に参加した。
他にギリシャ、スペイン、ドイツ、日本など、いくつかの同盟国にも、参加は認めないものの傍受局を置いているとされる。これらの国は、独自情報を提供する協力国も含めて“サードパーティー”と呼ばれ、情報の共有はされないものの、UKUSAの国益に反しない限りにおいて、エシュロンで得られた情報の提供が行われることがある。日本には、青森県の三沢飛行場近くの姉沼通信所に、傍受施設が存在し、1,000人単位のNSA要員が詰めていると言われる他、東京都心のいくつかのUKUSA同盟国の公館内(赤坂のアメリカ大使館等)にも傍受施設が存在し、分担して傍受活動を行っていると噂されている。
エシュロンは傍受施設のみで情報収集を行っているわけではなく、EP-3電子戦機とのデータリンクによって、航空機からの情報収集も可能と言われている。2001年4月に中国海南島上空で発生した領空侵犯事件(海南島事件)では、不時着した機内にアメリカ国家安全保障局の複数要員が乗り込んでいたとされ、エシュロンに関わる情報収集の一環であったとする噂がある。
世界的に非公式で運営しているとされているが、2001年に欧州連合欧州議会は「存在は疑いない」と結論づけた事で、公式な場面で初めて表立ったといえる。
アメリカの世界戦略の中で、敵国と友好国を分かたず情報を収集している行為については、特に非アングロサクソンのヨーロッパ諸国で反発が強く、フランスはエシュロンに対抗する全世界規模の傍受通信網「フレンシュロン」を構築しているとされる。
なお、当然ながらアメリカ政府は、エシュロンの存在を認めていない。
2007年に公開のマット・デイモン主演映画「ボーン・アルティメイタム」ではこのエシュロンを利用して物語が進行していくシーンがある。
② 欧州議会による報告書
2001年7月、欧州議会の「エシュロン通信傍受システムに関する特別委員会」は「世界的な私的、または商業通信の傍受システムの存在(エシュロン傍受システム)」という最終報告書を発表した[1][2]。 この報告書では、「UKUSAによる全世界的な傍受システムが存在することは疑いない」と断定し、また「重要な点は、軍事通信だけでなく私的、あるいは商業通信の傍受を目的としていることである」としている。
ただし、「傍受システムの限界」として、どれだけ大規模なリソースと能力を用いてもすべての通信の徹底的で詳細なモニタリングは、実際にはその膨大な通信量から不可能であるとも指摘している。
③日本とエシュロン
日本にも、参加を認められないものの、エシュロンの情報収集基地が置かれている。当然、日本政府、日本企業も監視の対象とされており、無線、短波無線、携帯電話、インターネット回線など、ありとあらゆる日本国内の通信が常に傍受され、データはニュージーランドの通信所に送られて蓄積されている。日本に関する情報収集の対象は主に経済分野であり、経済活動をアメリカ政財界に更に有利にするための、トップの意思決定についての情報収集を重点的に行っているとされる。1980年代から90年代初頭における、アメリカ政府の度重なるダンピング提訴や、日本企業とアメリカ企業との間の受注合戦や訴訟合戦において、アメリカの国益を守るために、三沢飛行場、ワシントン州、ニュージーランド、オーストラリア、香港(現在は撤去)のエシュロンをフル稼働させた可能性が非常に高く、それが日本の企業活動に大きな損害を与えたとされる。
その一方、施設を提供している見返りとして、日本政府の求めに応じて、エシュロンから得られた情報が提供されたと推定される例がいくつかある。北朝鮮の最高指導者金正日の長男金正男が成田空港で摘発された事件がそれであり、事前に日本に対して通報があったとされる。また、日本赤軍最高幹部であった重信房子が極秘裏に日本に帰国して潜伏しているという情報も、エシュロンによって情報が得られ、日本政府に通報されたと噂されている。
2004年、「週刊ポスト」が、日米首脳会談で小泉純一郎内閣総理大臣が、日本のエシュロンへの参加を打診、アメリカ政府が、イラク戦争での多国籍軍参加の見返りに、エシュロン参加を許可したと報道したが、その真偽は謎のままである。
またゴルゴ13にも「神の耳・エシュロン」という題で取り上げられたことがある。
このように、エシュロンが高い機密性を持つために、多くの事象は疑いがありつつも確証まで至らないのが現状である。
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