ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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ウィーン少年合唱団と神聖ローマ帝国

1498年(日本は室町時代)神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世により、宮廷礼拝堂少年聖歌隊として変声期前の少年を雇ったのが始まり。500年あまりの伝統をもつ。
創設以来オーストリア人だけで、構成されていたが第二次大戦後は次第に外国人にも門戸が徐々に開かれ始めた。
2004年の来日公演時に日本人メンバーの募集が発表され、オーディションの結果、カイ・シマダが史上初の日本人メンバーとして加わった。

☆神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世(位1493~1519)
ハプスブルク家出身のオーストリア大公。武勇に秀で立派な体躯に恵まれ、また芸術の保護者であったことから「中世最後の騎士」とされた。
ネーデルラント、スペイン、ボヘミア、ハンガリーを含む広大なハプスブルク家領の形成者。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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フランスの大統領の権限が強大な理由

権限が強力といわれるアメリカ大統領よりもフランス大統領
のそれは強い。その歴史は1958年の第五共和制移行に遡る。
旧植民地のアルジェリアの独立紛争時に意思決定が遅れ、フランス政府は危機に陥った。その混乱に対処するため登場したドゴールが大統領権限を大幅に強め、議会の権限を抑える憲法改正を実施した。
P.S サッカーのフランス代表のジダンはアルジェリア移民の二世。

ロストゼネレーション

ロストゼネレーションとは現在25歳から35歳の世代で、失われた時代と呼ばれる90年代のあおりをもろに食らい、何よりも最も厳しい就職状況を生きた。「氷河期世代」、「混沌の世代」と自らを定義する。
バブル崩壊の影響を一番受けたのがこの世代。
私もその一人なのですが・・・・。
アジア横断した1998年、日本人の若者が多かったのはそのためかな。

P.S 政治・経済の授業で、ロストゼネレーションとネットカフェ難民
  の話をした。明日はセンター研修なので今晩upします。

『フランダースの犬』でネロが見たかったのはルーベンスの「キリストの降架」 

フランダース地方の小さな村に住む少年ネロは、祖父や老犬パトラッシュと共に暮らし、ルーベンスのような画家になることを夢見ていた。
しかし、祖父の死後、村の風車小屋が焼けた火事の放火犯との濡れ衣を着せられたことにより、彼の居場所は村から失われてしまう。賞金が出る絵画コンクールの審査発表を待つネロだったが、空しくもコンクールでは彼の絵は落選であった。
雪の降る中、住むところも希望も失ったネロは、アントワープへと向かい大聖堂に辿り着く。その頃村ではネロに対する誤解は解け、更に彼の才能を認めたコンクールの審査員がネロを引き取ろうと訪れていたが全ては手遅れだった。大聖堂の中に飾られたルーベンスの絵の前でネロはパトラッシュと共に天に召される。
各国での評価
この作品は作者がイギリス人である事もありベルギーではほとんど無名だが、日本人観光客からの問い合わせがあまりに多い事から、1985年にホーボーケンにネロとパトラッシュの銅像が建てられた。又、2003年にはアントワープ・ノートルダム大聖堂前の広場に記念碑が設置された。
アメリカで出版されている『フランダースの犬』では、内容に救いがなさ過ぎるとして改変が加えられている。この改変されたストーリーでは、ネロとパトラッシュは聖堂で死亡せず、ネロの父親も名乗り出てハッピーエンドを迎える。
1975年1月5日から同年12月28日までにフジテレビ系列の『世界名作劇場』枠でテレビアニメ化。制作は日本アニメーション。ストーリーが悲劇的になるにつれ、テレビ局に抗議が殺到した。現在でもラストシーンはアニメにおける「悲劇」の代表格として語られている。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

秀吉の朝鮮出兵は、信長の路線を継承した政策だったのか?

信長の言葉としてルイス=フロイスが「日本史」に記録しているところによりますと・・・・。
「毛利を平定したあかつきには、一大艦隊を編成し、中国大陸まで攻め込むつもりだ」
通説では秀吉は息子や弟豊臣秀長の死にショックを受けたのが
朝鮮出兵の大きな理由として挙げられてましたが・・・・。

『神々の山嶺』

『怖いのは、アイデアではなく、書くためのリビドーが枯れること。』                         夢枕 獏
獏氏の傑作『神々の山嶺』が読みたくなりますね。
北パキスタンかネパールあたりで、読めると最高
なんでしょうけど(苦笑)

BS1にて 『毛沢東』全4回シリーズ放送

第1回 4月24日(火)前0:10~1:00(23日深夜)
毛沢東元国家主席の没後30年に当たり制作された、欧州の視点から中国の現代史を見詰めたドキュメンタリーを4回シリーズで送る。1回目は、毛沢東が中国共産党の指導者としての地位を確立するまでをたどる。彼は農家の息子として生まれ、28歳で共産党に入党。その後、日中戦争でゲリラ戦を指揮しながら、党内の路線対立を乗り越えるなど手腕を発揮した。番組では毛沢東の指導権が確立された「長征」の苦難を元兵士の証言を基にたどりながら、当時から彼が幹部粛清を行っていたことや、思想統制を強める「整風運動」を推し進めたことなどを検証する

チェーザレ 3―破壊の創造者 (コミック) 4月23日刊行

本邦未訳『サチェルドーテ版チェーザレ・ボルジア伝』を精査し惣領冬美が描く、華麗なるルネッサンス絵巻。
歴史の闇に葬られた最も美しき英雄チェーザレ・ボルジアの真実が甦る。新鋭ダンテ学者・原基晶が監修。

☆マキャヴェッリは『君主論』の中でチェーザレ・ボルジアこそ理想的な君主であるとした。当時のイタリアは多くの小国に分裂し、外国の圧迫を受けて混乱の最中にあったが、イタリア統一への願いから「統一を実現しうるのはいかなる君主か」を論じた。

P.S 生まれて初めて予約して買った漫画です。
  時代考証は勿論ですが、その絵の繊細で華麗なこと。
  この作品により、日本のマンガいやグラフィック・ノベルは新たな領域に足
  を踏み入れたといっても過言ではないのではないでしょうか。

ブログは究極の「知的生産の道具」

『ウェブ進化論』の梅田氏がブログこそが自分にとっての究極の「知的生産の道具」と考えた3つの理由とは。
①容量に事実上限界がない。
②カテゴリー分類とキーワード検索ができる。
③ネットワークにつなぎさえすれば、情報にアクセスできる。

P.S この『ウェブ進化論』を読んだのがブログを始めたきっかけです。
  特に②は説得力がありました。
  3冊のネタ帳(職場、自宅、カバン)に歴史のことを書き散らかして
  ます。またPCのフォルダにも歴史のネタがある。
  これをブログ上で少しづつアップしておけばいずれは役に立つのか
  なと。一元管理ができますからね。検索も容易だろうし。
  人様には役に立たないんでしょうけど(苦笑)。
  まあ自分資産みたいなもんかな。

『ツタンカーメンの呪い』

世紀の発見の後、恐ろしい出来事が続く。『ツタンカーメンの呪い』と呼ばれる事件である。
ツタンカーメンの墓の入り口には、「偉大なる王の墓にふれた者には、死をもたらす』と碑文が刻まれてあったというのである。
スポンサーのカーナボン卿が発掘の翌年の4月に原因不明の高熱で急死。
そしてその5ヵ月後には、カーナボン卿の義弟も急死する。
さらにその5年後にはカーターの片腕であった人物も病死。
碑文に刻まれていた呪いは事実だったのか?

『ツタンカーメンの呪い』の真相
まず碑文に刻まれていた呪いに関してだが、これはカーナボン卿を恨んでいたマスコミがデッチあげたホラ話だった。
当時カーナボン卿はロンドンタイムズ紙と独占契約を結んでおり、タイムズ社以外のマスコミには一切情報を流さなかった。
そのため、世界中のマスコミから非難が集中し、カーナボン卿は記者たちから恨まれていた。だからマスコミは『ファラオの呪い』の話をねつ造し、騒ぎ立てたのである。
では、カーナボン卿の死についてどうか。これは発掘の翌年に亡くなったのは事実であるが、死因は病死である。
カーナボン卿は、1901年にドイツで遭遇した自動車事故が原因で長いこと健康状態は悪く、エジプトに訪れるようになったのも、イギリスの冬の寒さに耐えられなくなったからである。亡くなったのも、髭を剃っていた時に誤って蚊に刺された跡を傷つけ、そこから熱病に感染し、肺炎を併発したことが原因であった。

世紀の発見「ツタンカーメンの王墓」

奇跡の発見
数百人に及ぶといわれる歴代ファラオの墓は、ことごとく墓泥棒に盗掘されており、「盗掘の被害を受けていない王墓はありえない」と当時、世界中の専門家が断言していた。
しかし、信じられないニュースが世界中を駆けめぐった!世界中の専門家が無いと断言していたツタンカーメン王墓が発見さたのだ。
その偉業を成し遂げたのは、専門教育を受けていない叩き上げの素人考古学者ハワード・カーターであった。

1922年、15年に渡ってエジプトで発掘を続けた考古学者、ハワード・カーターは窮地に陥った。スポンサーのカーナボン卿が、めぼしい財宝が発見できない事を理由に、資金提供を取りやめると
言い出したのだ。継続するよう食い下がるカーター。

カーターの熱意に、カーナボン卿は1シーズン限りの発掘延長を決めた。そして奇跡が起こる。
11月4日、発掘開始から18日目、知られざる王墓の入り口を遂に発見したのである.

駆けつけたカーナボン卿が見守る前で、封印された壁に新たなカルトゥーシュ(王の紋章)を発見。これこそがまさにツタンカーメンの墓だ。この瞬間、カーターとカーナボン卿は抱き合った。
「最初は何も見えなかった。しかし目が慣れるにつれ、部屋の細部 が浮かび上がってきた不思議な動物達、像、そして黄金。どこもかしこも、黄金だった・・・・。」

P.S 今年は世界史はAの方なので、さまざまな逸話と余談を
  交えながら、楽しくやるつもりです。

いよいよ授業が本格的に開始

『過去と他人は変えられない。でも自分と未来は変えられる。』
エリック・バーン

昨年、現代社会の授業プリントに毎回さまざまな名言をつけた。
もっとも生徒に評判が良かったのはこれかな。

島根・石見銀山、世界遺産登録へ課題多数〔共同〕

今夏の世界文化遺産登録を目指している石見銀山遺跡(島根県)について、昨年秋に現地調査した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関が、景観上の課題や遺産価値の説明の難しさなどを多数指摘していることが4月14日、分かった。

石見銀山  出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
16世紀後半から17世紀初めに石見銀山の銀産出量は世界全体の三分の一に達し、スペインのペルー副王領ポトシ(現ボリビア、世界遺産)のセロ・リコと並ぶ銀産出地として西欧・中国でも有名になった。
当然、銀山を手中にした武将(大内氏、尼子氏、毛利氏、豊臣氏)は積極的にこれらの海外諸国と貿易を行った。
石見銀山は江戸時代前期にも日本の膨大な銀需要を支えた(銅も産出)が、元禄期になると次第に産出量が少なくなり、江戸末期にはほとんど産出しなくなった。

USBメモリを便利に使うフリーソフト

私は職場のノートとUSBメモリそして自宅のデスクトップを同期させるため、RealSyncというフリーソフトを使ってます。
http://www.takenet.or.jp/~ryuuji/realsync/
このソフトを利用することで、フォルダの同期を取ることができ、
バックアップ等を簡単にリアルタイムに行うことが可能。
また、更新されたファイルだけをコピーするため、高速。
お使いの方も多いでしょうけど。

P.S USBメモリが8Gで1万円を切る時代なんですね。
  初めて買ったPCの容量よりも多いとは,隔世の感(苦笑)
  トランセンド日本法人の永久保証付き
  Transcend USBメモリ V10シリーズ 8GB
   価格 9,047円 (税込 9,499 円)
  http://item.rakuten.co.jp/donya/53788/

毒殺に使われたヒ素の歴史

★以下『ウィキペディア』より抜粋
1250年にアルベルトゥス・マグヌスにより発見された.。
ヒ素は無味無臭かつ、無色な毒であるため、しばしば暗殺の道具として用いられた。
ルネサンス時代にはローマ教皇アレクサンデル6世(1431年 ~1503年)と息子チェーザレ・ボルジア(1475年 ~1507年)はヒ素入りのワインによって、次々と政敵を暗殺したとされる。
入手が容易である一方、体内に残留し容易に検出できることから狡猾な毒殺には用いられない。そのためヨーロッパでは「愚者の毒」という異名があった。

アレクサンデル6世(在位1492年 - 1503年) は15世紀のローマ教皇 。
ロドリーゴ・ボルジアの名前で知られる。
ルネサンス期の世俗化した教皇の代表的存在であり、好色さ、強欲さやサヴォナローラとの対立によっても非難されることが多い。また、息子のチェーザレ・ボルジアを右腕とし、一族の繁栄と教皇庁の軍事的自立に精力を注いだことで、イタリアを戦火に投じることになった。
一般的には「史上最悪の教皇」という評価を受けがちだが、一部には「指導力を備えた君主」という意見もある。

P.S 織田信長が上杉謙信と武田信玄をヒ素で毒殺したという
  先日放映された歴史バラエティの説はなんか嘘っぽいな。

「面白きこともなき世をおもしろく」

本日は、志士高杉晋作の命日。山口の下関では法要が営まれているそうだ。伊藤博文は「動ケバ雷電ノ如ク、発スレバ風雨ノ如シ、衆目駭然、敢テ正視スル者ナシ」と晋作を後に形容した。
司馬遼太郎氏が吉田松陰と高杉晋作を描いた「世に棲む日日」をその昔読んだが、ぼんやりとした印象しかない。
「竜馬がゆく」や「燃えよ剣」のような強烈な読後感がないのである。
思うに司馬氏は革命家よりも実務家を好んで描いたのかもしれない。
それゆえに坂本竜馬や土方歳三が革命家高杉あるは西郷よりも魅力的に映るのであろう。

『事実というものは存在しない。存在するのは解釈だけである』ニーチェ

P.Sそういえば、わが国の現首相も同じ下関出身でしたな。

『ショーシャンクの空に』と最後の授業(2007年2月末)

昔良かった映画を、今見直すとそうでもないということがままある。
しかしこの作品に関しては、まったく色褪せていない。何度見ても魂が揺さぶられる。1994年公開だから、10年以上前の作品なんですね。

前任校の最後の授業。3年生に視聴覚室で使いこの作品を見せた。
長い(142分!!)のでやや躊躇したが、担任の先生に頼み込んで。
普段、あまり感情を表にださない女子生徒の何人かが「良かった」と言ってくれた。
もっとも生徒よりもジーンとしていたは自分の方かも(苦笑)。


以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
『ショーシャンクの空に』(The Shawshank Redemption)
1994年に公開されたアメリカ映画である。スティーブン・キングの小説『刑務所のリタ・ヘイワース』を原作として、フランク・ダラボンが初監督と脚色を兼ねて映画化した。身に覚えのない罪を着せられ内部組織まで腐敗しきった刑務所に投獄された、一人の銀行員の刑務所生活とその脱出劇を描いたヒューマンドラマである。
劇場公開当初は『フォレスト・ガンプ/一期一会』や『パルプ・フィクション』、『スピード』などの話題作に隠れて興行収入は芳しくなかった。最終的に第67回アカデミー賞において7部門にノミネートされるまでに到ったものの、その賞全てを先述の『フォレスト・ガンプ/一期一会』に浚われた「無冠の名作」でもある。
一方でビデオレンタルが開始されると、これを鑑賞し作品完成度の高さを知ったユーザーから口コミを中心にファンが激増していった。「映画好きの踏み絵的作品」とも言われ、Internet Movie Databaseを始めとした映画批評サイトなどにおいても、公開後10年以上経った現在でも視聴者からのレビュー数の多さ・評価の高さでは最高峰に位置付けられる作品の1つである。

なぜダヴィデ像がフィレンツェのシンボルになったのか?

この像が建てられたとき、フィレンツェは政治的に難しい局面に立たされていた。

外敵のスペインやフランスは領土的野心を持ち、攻めこむ気配を見せていた。また追放されたメディチ家もフィレンツェに戻ろうと画策する。

このような状況で、共和国としての独立と自由を守るため、フィレンツェ市民たちは、ある人物に自由と独立の象徴としてのモニュメント(像)を作るよう依頼したのである。その彫刻家こそ当時26歳の俊英ミケランジェロ・ブオナローティであった。

この造営局のリクエストに対し、ミケランジェロは『旧約聖書』のダヴィデ王を選んだ。なぜダヴィデだったのか?

ダヴィデは旧約の英雄で、石で敵のペリシテ人の戦士ゴリアテを倒したことで有名である。
ダヴィデがフィレンツェで、ゴリアテは強敵のスペインやフランスというメタファーだったのだ。

NHK衛星の「フィレンツェ特集」より抜粋。

「20世紀少年」実写映画化決定(2008年公開予定)

ネットカフェなるもの初体験。
20世紀少年を、全巻一気読みするために(苦笑)。
本当は完結するまで手にするつもりじゃなかったのに。
待てませんでした。
ダヴィドのような構想力と、レンブラントのような描写力。
それを兼ね備えた巨匠浦沢直樹氏。瞠目で言葉もありません。
「モンスター」を遙かに凌ぐカタルシス。
はやく23巻でませんかねぇ・・・・。
映画公開されるらしいです。http://www.20thboys.com/
でも下手すると罵詈雑言の嵐になるでしょうね。
ケンヂを演じる役者を誰にキャスティングするのか。
これは難しい。ハリウッドならB・ピット?

P.S 私的日記:今週は人生でもっとも長く時間が過ぎた1週間。

NYで働く友人(Y・T君)より届いたmail

異国を旅するのは何かを模索すること。そして彼の地に住むというのは、自分の鉱脈を深耕することなのかもしれません。

『こちらにきて改めて日本とアメリカの関係にとても関心が出てきた。
(中略)
もとは日本がアメリカから学んで、今は逆にアメリカが日本から輸入
しているもの、やはりアメリカが先端を行くものなどいろいろだと
思われる。それを見ているとやはり現代のルーツ、戦後、その出来方
について関心を持っている。そうなるとやはりキーは憲法とその出来る
プロセスだったりするなぁとか浅はかと解っていながらも関心を持って
しまう。それで〝憲法9条を世界遺産に〟とか、〝国家の品格〟とか
を読んだ。でもオススメは〝白洲次郎 占領を背負った男〟だね。
どこまで本当は別にしてだけど憲法が出来上がる過程が白州次郎の
かかわりを通じて、細かに時系列的に迫力ある描写で書いてある。
読んだかも知んないけど。
これを読んだ後に津本陽の〝異形の将軍〟を読んだらとても稚拙な
本に思えた。前書に比べて圧倒的に筆者の取材不足が感じられて
根拠に乏しいエピソードが多くかなり説得力にかけるなぁ、という印象がぬぐえない。生意気なんだけど。

これらを踏まえて沢木耕太郎の〝危機の宰相〟を読みたいと思ってる。
〝無名〟〝凍〟〝シネマと書店とスタジアム〟などいまだに沢木作品
にはお世話になってる。沢木作品(文学)の存在価値というか、面白い
理由が立花隆が小説を読まなくなったのは現実にある話のほうが圧倒的に面白く小説を読むと人間の想像力に限界を感じるようになったからというエピソードを〝僕はこんな本を読んできた〟で読んで納得できた気がする。
立花隆はひとつの本を書くときに平積みにして1mにもなる本を読む人。
世界の名だたる作家その名作といわれる著書はほとんど読破した人を
もってそう言わしめている現実は沢木耕太郎の圧倒的な時間と労力を
費やした取材に基づくフィクションとルポルタージュの狭間を行く独特の世界が面白くないはずはないと、言っているようなもんだなぁと思った。
現実に即している分、描写が写実的になって個人によって解釈が異なる
場合が増えると思うけど、一方それが作品の幅にもなる。』

ヴェネチアングラス

NHK探検ロマン世界遺産「地中海の女王ヴェネチア」参照 

あるヴェネチア商人(ジローラモ・ブリウリ)の日記より

『ポルトガルのインド航路発見。これは極めて大きな衝撃である。今までのどんなひどい知らせもこれに比べれば大したことはない。
どの国も今後はヴェネチアを見限り、ポルトガルに香辛料を買いに走るに違いない。
香辛料を失ったヴェネチアは、まるでミルクを取り上げられた赤ん坊のようだ。
もうヴェネチアは終わりだ・・・・・・』


大航海時代の幕開けで、地中海貿易が衰退することを予見したこの手紙は皮肉にも見事に的中する。
今度大航海時代の授業の時この手紙を使わせてもらいます。

なお、その後ヴェネチアも新たな対策に着手した。
つまりこれまで他の国の商品を売買(中継貿易)するだけだったこの国が、オリジナルの商品の製造を始める。
そう、それが皆さんもよくご存じのヴェネチアングラスというわけなのです。

英語のmedicineの語源はメディチ家

「メディチ」は「薬」という意味であり(英語のmedicine:薬の語源はメディチ家;Mediciである)、先祖は薬種問屋か医師であったのではないかとされている。
銀行業を始める前は、薬品の一種であるミョウバンを商って栄えていたらしい。
惣領冬実氏がルネサンス期のイタリアを描く傑作漫画「チェーザレ」。
これを読むと、メディチ家の盛況ぶりが、vividに伝わってきます。
しかも絵がリアルで繊細華麗、ストーリーも読ませる。
3巻が待ちきれません。

「漂えど、沈ます。迷えど、失わず」

1学期最初授業には必ずこの文章を載せたプリント配布し、読んでもらうことが、ささやかな儀式になっている。まだ新米ですけど・・。
高校の国語教師を退職し、イギリスに来ていた女性からもらった手紙です。

「ある友人からの手紙」
自分が誰で、どこに向かっているのかわからなかった。
例えば「現実」というワクがあって、その中にムリやり自分をはめこむためにお化粧して、スーツ着てやってきた。だけど心はずっと何かを探していた。私はいつも不安だった。だけどそんな自分が嫌いではなかった。生徒に対しても、その''不安''を隠さなかった。いくつになっても理想の自分を追い求めたかったし、追い求めて欲しいと思ったから。 彼らと別れるときに「2002年に再会しよう」という約束をした。

最初に会ったときに、イギリスに来た理由として私が言った言葉を覚えているでしょうか?
私は知ってるの。求めているのはきっと自分の中にあるってことを。真実は自分の中にあるってことを。ただ、どんな時でも、誰の前でもそれをつらぬける私であるかといえば、答えはNO。私は「何者か」になんてなろうと思っていない。私はいつも私。だからこそ、それをつらぬける自分になりなかった。

もう一つ、今の私をつき動かしているものは、やっぱり生徒との出会い。
こんな子がいたの。彼にかかると清掃用具はボロボロ。授業中にカスタネット鳴らしだし、叱れば反抗。小さなナイフを振り回したこともあった。 ある時、廊下の壁にサインペンで絵を描いていたの。何かを風刺したような、とても動きのある絵だった。
私が思わず褒めると、すごくびっくりして。それから彼は自分の夢を話してくれるようになった。絵の勉強をしたいっていう夢。だけど両親は大反対。絵を描いて暮らしていけるか、という理由から。
 これまでに一度だって何かを目指したことのない子が、初めて夢を言葉にした。彼のスタート地点が見えたというのに、誰にそれを止められるだろうか、と私は思った。
 三者面談で、彼の母親に「先生に何が出来るんですか」って叫ばれた。信じて見守ることと、倒れそうな時に軌道修正をしてあげることだけ。それが私の答え。それは親も同じ。
学ぶことって生計を立てるためだけのものではないでしょ?たいていの親がそれに納得する訳がないことも知っているけど。 この子だけじゃない。それどころか夢を口にすることが出来ない子、恐れている子がたくさんいた。そうした時に気がついた。私に出来ることの全てはただ、私もまた、みんなと同じように何かを探しながら、生きている一人の人間であることを隠さないことだって。

 本当に探しているものを見つけるためには何年かかってもいいんだよ。何度私がそう言ってもピンとこないって顔してた子たちも私が教師でなくなる日が近づくにつれ、少しつづ分かってくれるようになった。2002年に彼らは、今の私と同じ年になる。
その時にお互い素敵になって再会しよう。そういう約束。ナイフ振り回していた男は結局、美術の専門学校に進んだ。高校の卒業式は私の誕生日でもあって、彼は私の肖像画をプレゼントしてくれた。
読んでくれてありがとう。アプローチの方法こそは違うものの、同じように何かを探しているあなたの旅が実り多いものであることを祈ります。

ノブレス・オブリージュ (noblesse oblige) は、フランス語で「貴族の義務」、「高貴な義務」を意味する。

保科正之といえば第3代将軍徳川家光の弟で、4代将軍家綱を補佐した文治政治家として知られてますね。
1657年の一月、江戸の過半数が消失する明暦の大火がおこった。焼死者は10万人を超え、焼け出された町民は折柄の寒波と吹雪に晒され凍えていた。体制の安定に心弛みつつあった幕閣の危機感は薄く、
ひとり将軍補弼役、保科正之のみがこれに機敏に対処した。
保科が金蔵を開いて16万両を被災者の救助金として放出しようとしたところ、老中達はその巨費に驚愕し、諌止した。
正之はこれに動じることなく「公の貯蓄とはこのようなとき、民を安堵させるためのものだ」と押し切った。
彼は耐火が原因で嫡男を失っていたが、この喪に服さずに、江戸城に詰め切って政務に没頭したという。

(中村彰彦氏の「保科正之」中公新書より抜粋)

生き甲斐とは

本日の研修で講師の方の印象に残った言葉。
「生き甲斐とは、やりたいことと、やるべきことが一致していることである。」

ipodの有効活用法について

ipodを通勤中に利用している人は多いだろう。
小生もPCで録画した番組(「歴史が動いた」や「世界遺産」)を動画変換君で変換して見ている。またpodcastも聞き応えのある番組が多いので聞く。予備バッテリ持参で(苦笑)

以下はフォーサイトの4月号の梅田氏の「シリコンバレーからの手紙」に面白い記事が掲載されていたので抜粋させてもらいます。

「ウェブ進化論」でもよく知られる梅田氏。海外出張の多い氏は、数十時間のフライトでの時間の使い方をふとしたことで発見したそうだ。

それがipodで講演を聴くこと。三島由紀夫や司馬遼太郎の講演が収録されているCDを購入し、それをインポートしてipodで聞いているそうだ。
数回の日米往復ですべてを聞いてしまったとか。

その梅田氏が最近聞ハマッているのが脳科学者茂木健一郎氏のサイト「クオリア・マニフェスト」にアップされた対談や講演の音声ファイルをダウンロードして聞くことらしい。

http://www.qualia-manifesto.com/kenmogi.html

私も早速やってみようと思うのだが、海外出張なんて高校教員には縁がないんですよね。これが。残念!!


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