ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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『ゴッドファーザー伝説』ビル・ボナーノ(集英社).txt

以下松岡正剛の千夜千冊より引用http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0595.html
ニノ・ロータの甘美で哀愁をおびた音楽が近づくように鳴って、仲間に囲まれて立ち話をしていた白髪まじりのマーロン・ブランドがゆっくりとこちらを振り向く。ドン・ヴィトー・コルレオーネである。
 血で血を洗うマフィアのコルレオーネ一家を描いたフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』をいったい何度見たことか。それも大作3本だ。テレビで放映されていると、ついつい見てしまっていた。筋にはまってもいるし、映像をあらためて追ってもいるし、役者ぶりも見る。パートI のドン・コルレオーネはマーロン・ブランドで、三男マイケルがアル・パチーノ、トム・ヘイゲン役がロバート・デュバル、ケイ・アダムスがダイアン・キートンだ。それがパートII では若き時代のドンがロバート・デ・ニーロに代わる。これだけで参る。とくにぼくはマイケルのアル・パチーノにはぞっこんだったのだ。
 この、映画『ゴッドファーザー』には原作がある。マリオ・プーゾの同名の小説だ。ベストセラーになった。
 プーゾはニューヨークの極貧のイタリア系移民の二世で、すでにシシリアンに対する強烈な懐旧の情をもって育っていた。ぼくにも何人かの知り合いがいるが、ニューヨークのイタリア系移民には独特の焦燥感と一人よがりと寂しさと、そしてすばしっこい勇気と同胞愛がある。プーゾもきっとそういうイタリアンの一人だったのだろう。
 そのプーゾが『ゴッドファーザー』を描くにあたってモデルにしたのが、ジョゼフ・ボナーノの一家だった。ジョゼフ・ボナーノがドン・コルレオーネことヴィトー・コルレオーネで、つまりゴッドファーザーである。ここまではゴッドファーザーのファンなら誰で も知っている。
 では、アル・パチーノが演じたマイケルは誰かというと、どうもそういう息子がいるらしいという噂はもちきりだったが、はっきりしなかった。それがついに姿をあらわした。それも『ゴッドファーザー伝説』の著者として、全世界のゴッドファーザー・ファンに対して“真相”をあきらかにするため、颯爽とあらわれたのである。本書の著者ビル・ボナーノは、あのアル・パチーノのマイケルなのだ。ゴッドファーザーは実父なのである。
 これはどうしても読まずにはいられない。
 読んでみてマフィアに関して驚いたことはいくらもあったが、なかでも実在のゴッドファーザー=ジョゼフ・ボナーノがまだ生きて矍鑠としているということと(本書が書かれた時点で94歳になっていた)、そのゴッドファーザー・ジョゼフがジョン・F・ケネディとこれほど昵懇だったということは、予想外だった。
 しかも息子のビルは、ケネディ暗殺の真犯人を知っているふうなのだ。オズワルドは捨て駒だったと言って、実行犯が別にいたことを匂わしている。もっとも、このことについては次著であきらかにするとおもわせぶりなことを書いているので、本当かどうかはわからない。
 もうひとつ、予想外なことがあった。老いたジョゼフ・ボナーノの写真を見ると、本物のゴッドファーザーはマーロン・ブランドよりもっと優雅で、ずっと深みを湛えていたということだ。
 さて、66歳になったマイケルのほうの著者ビル・ボナーノは、最初にこう書いている。「私が住む世界の人々は自伝を書かないのが普通である」。
 この掟を破ったのは、これ以上、ドン・コルレオーネの伝説と実像との混濁を進ませたくなかったからだという。たしかに小説や映画とはずいぶん違ったところがあった。けれども、誰が撃ったか、誰が誰を復讐したかということを別にすれば、本書の隅々には、ほぼ映画『ゴッドファーザー』の抗争と殺戮が、親愛と哀愁が、血のように流れていたといってよい。これがあの一家の事実の流れなのだということに映画をかぶせて読んでいることが、他のマフィア関連の類書を読むよりずっとおもしろくさせたともいえる。加えて著者が、「私は懴悔をするつもりでこれを書いたのではない」と決然と宣言していることも、本書を際立たせた原因になっていた。
 著者が何度かにわたって、あることを読者にはっきりさせたことも効いていた。それは、マフィアやラ・コーザ・ノストラなどのシチリア特有の一族やクラン(党派)を一般人が理解するには、一人一人の「マフィオーソ」とはどういうものであるかを理解するしかないと断言していることである。
 マフィオーソの理解には、一人のマフィオーソの性格と個性の把握が必要であるらしい。
 マフィオーソは名詞と形容詞の両方でつかわれる。ある個人が組織された党派のメンバーであれば、その個人がマフィオーソと定義される資質をもっていないかもしれなくとも、マフィオーソたりうるという。また、クランの一員でなくともマフィオーソでありうるし、むろん性別も関係ない。正統な誇りをもっているのなら、絶世の美人もまたマフィオーソなのである。
 もっというならマフィオーソは人間である必要もない。ある態度をもつ馬や狼やライオンもマフィオーソになりうるという。これはマフィアを知らないわれわれからすると、意外な見方である。しかし、この意外な見方が何を如実にあらわしているかということは、次の例でもっとはっきりする。
 著者の大叔父にジュゼッペがいる。ボナーノ一族に属しているという意味でも、その性質においてもマフィオーソだった。その大叔父を慕う青年も一族の正式なメンバーになりたがっていた。青年は大叔父のそばにいて、何でもやった。この、喜んで奉仕するという性質は、クランのなかでは重要なものではあるが、マフィオーソの決定的な特徴ではない。
 ある日、大叔父はその信奉者の青年にシャツを脱ぎ、鞭を打つと言った。青年は柔順に従い、大叔父は青年を皮膚が剥けるほど打った。青年はなぜこんなことをされるのか理解できるわけではなかったが、理由はともかくも鞭打ちを受けることが必要だということは感じていたはずである。
 大叔父は鞭打ちをおえると、自分もシャツを脱いで鞭を打つように青年に言った。青年はふたたび言うとおりにした。大叔父の指示を理解したわけではなく、二人のあいだに存在する関係ゆえにそうすることが正しいと信じたからである。
 この大叔父と青年のあいだによって明らかにされた性質こそがマフィオーソなのである。これをあまり厳密に定義しようとすると、本質を見失うことになると著者は言う。なぜなら、この性質は魂のなかにあり、まちがいなく定義しがたいものなのだ。
 このマフィオーソのくだりを読んで、ぼくは呆気にとられるとともに、忽然とした。なんだかマフィアが羨ましくさえ思ったものである。
 もっとも、マフィオーソがこのような魂の性質をもったことについては、かなりのシシリアンとしての歴史があった。ここでは紹介しないが、著者はそのことも詳しく書いている。なにしろ13世紀にフランスがシチリアを占領して以来の、そこで「シチリアの晩鐘」と言われた暴動をおこして以来の、長きにわたる抑圧と排除の歴史なのである。
 このときシシリアンが反乱し、その反乱のスローガンが「フランスに死を、とイタリアは叫ぶ」というものだった。イタリア語では“Morte Alla Francia, Itala Anela”という。そこで、その頭文字をとったのが“MAFIA”になっていった。こんな経緯を含めて、著者のいうマフィオーソの魂は形成されていったのだ。
 しかし、なぜそんなマフィオーソの魂が純粋に維持され、“ゴッドファーザー伝説”として今日まで続行できたかというと、ここはきっと著者も同意するだろうけれど、かつてシシリアンが抑圧と排除を受けたという歴史そのものが、そのままその後のシシリアンによる抑圧と排除の歴史に逆倒していったという奇怪な継承がおこったからだったにちがいない。「目には目を」という哲学に、すべての組織の歯車が集中したということなのである。
 マフィアは、マフィアが生まれた生涯の傷をマフィアの成長のためにつかったわけなのである。
 ともかくも、この本は貴重な報告だった。
 べつだんわれわれには、マフィアの実情を詳しく知る謂れなんてないのだが(いや、実はあるのだが)、そのことを知れば知るほどになんとも説明のしようがない共感が誘われる。
 マフィアに共感するなんて、まったく説明のつかないことであるけれど、それがコルレオーネ一族ことボナーノ一族の戦後の日々から感じる実感なのである。晴れた日に雷が鳴り走るというのか、雨の日に花火をあげる男たちもいるというのか、そんな実感だ。
 この実感は結局は、映画『ゴッドファーザー』から受けた観客の多くの印象と通じるのであろう。
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対談:僕たちが旅に出る理由「中田英寿×沢木耕太郎」.txt

「COURRiER Japon1月号掲載」http://blog.moura.jp/courrier/2008/01/10/index.html#002
サッカー選手を突然引退し、
旅人となった男、中田英寿。
若き旅人たちの永遠のバイブル
『深夜特急』をはじめ、「旅」をめぐる
傑作を多くものしてきた作家、沢木耕太郎。
二人の旅路が交錯した場所で、
旅人たちは何を語るのか。

『深夜特急』

以下は高校の図書館便り(11月号)に寄稿した文章。

26歳の沢木耕太郎は、1900ドルを作り、仕事の全てを放擲して旅に出た。「デリーからロンドンまで乗り合いバスで行くことができるか。」その酔狂な旅の途中で、さまざまな場面に出会っていく・・・。
「深夜特急」を手にとった時、私は社会人1年目。学生気分が抜けきらず、鬱々と日々を過ごしていた。仕事を辞めてユーラシア大陸を横断する。それが私のささやかな目標となった。
3年後、沢木氏の言葉に肩を押されるように日本を発った。鉄道とバスのみを使って旅をする。それ
以外は何も決めていなかった。金と好奇心が摩耗するまで、どこまでも歩き続けよう、と。
「もし、この本を読んで旅に出たくなった人がいたら、そう、私も友情をもって挨拶を送りたい。恐れずに。 しかし、気をつけて。」 (「深夜特急 第三便」 あとがきより)

「敗者から見た関ヶ原合戦」三池純正著 洋泉社新書.txt

「敗者から見た関ヶ原合戦」三池純正著 洋泉社新書
 関ヶ原の合戦と言えば、万全の体制で準備をしていた家康に対し、三成はまんまとはめられて負けるべくして負けたというような語られ方をすることが多い。また三成は秀頼を利用して権力の簒奪を狙っていた野心家のようにさえ語られることもある。
しかしながらこれらはすべて、勝者から見た歴史であり、当然ながら家康にとって都合の良いように組んだ事実である。実際にこの合戦を客観的に見てみると、一般に言われていることと違う事実が見えてくるというような観点に立った著である。  この著者が挙げているポイントはいくつかあるが、まず言えるのは、三成は家康にまんまとはめられたのではなく、彼が出来る限りの最善の準備を整えた上で挙兵したということと、その戦略は家康の想像をさえ越えるものであったため、実際の関ヶ原の合戦は後に言われているような家康の余裕の勝利とはほど遠い紙一重の勝利だったというものである。  
三成がすべてを見通した上で万全の準備を整えていた証拠として、著者は小早川秀秋が陣取った松尾山をあげている。実は松尾山は合戦時には鉄壁の山城と化しており、本来はここに秀頼を要した毛利勢が入る予定であったのだという。だからこそ当初から家康に通じていた小早川秀秋は事前にこの要地を押さえにかかったのである。しかしそのような不利な事態に至っても、三成の布陣は小早川勢が寝返りの機会を逃しかけるぐらい完璧に機能したのであった。これは三成の卓越した戦略眼を物語っている。  
実際、西国の有力武将がことごとく三成側に与し、秀頼までもを押さえられてしまうような事態は家康の想定を越えていたのだという。そもそも家康と三成の力の差を考えると、三成が家康に対抗しうる軍勢を揃えられたということだけで三成の力量が並々ならぬことの証明である。
 なお上杉と三成の関係について、いわゆる事前の連絡はなかっただろうとしている。と言うのも、両者が行動した時期を見るとその余裕はありそうにないし、そもそも連絡を取り合っていたのなら、もう少し連携のやりようもあったはずであるとしている。  また三成の人となりについても、かなり肯定的に捉えている。人望がなかったかのように語られることが多い三成だが、実際には彼のために命を捨てることを厭わなかった者も少なくないし、彼の臣下や一族は最後まで善戦しているのである。また彼が私腹を肥やすことが一切なかったことは、家康でさえ認めているところであった。  

『1491―先コロンブス期アメリカ大陸をめぐる新発見 』(単行本)

☆西欧文明との出会い当時、中米にはマヤ文明(ユカタン半島)を引き継いだアステカ文明(現メキシコ)が栄え、南米アンデス山中にはオスマン帝国をも凌ぐ世界一のインカ大帝国が支配していた。
それがいずれも数十年で消滅した。インカ破滅の原因は、ピサロら
の鉄器と馬ではなく、天然痘と神権体制と内紛であった。ミシシッピ川流域に密集していたアメリカ先住民の大集落は百年で消滅した。
この原因も、実は歩く食肉であった豚300頭を病原とする人と動物
への急性感染(炭疽病、結核、天然痘など)であった。
インディオ遊牧狩猟民族説は征服者による神話に過ぎない。
金子勝(大阪府立大名誉教授)

出版社/著者からの内容紹介
 1492年のコロンブス到達以前のアメリカ大陸について、私たち
の常識を根本から覆す画期的な研究。
 従来アメリカ人は、南北アメリカに住む先住民たちの祖先は、1万2千年前にベーリング地峡を渡ってやってきたと学校の授業で習ってきた。彼らは小数の狩猟採集民集団で、この両大陸にまばらに散らばって暮らし、そこには依然として、手つかずの広大な自然が広がっていたのだ、と。
しかし本書でチャールズC.マンが明らかにするように、考古学者や人類学者はこの30年にわたって、「長らく信じられてきた」こうした仮定の多くが誤りであることを次々と証明してきたのだ。
 本書において著者は、新世代の研究者たちが最新の科学技術を用いることで、如何にかつて聞いたこともないような驚くべき結論を説得力をもって導き出したかを明らかにしている。
たとえば ・ 1491年のアメリカ両大陸には、恐らく当時のヨーロッパ全体を越える数の人々が暮らしていた。
・ アステカの首都ティノチティトランなどいくつかの都市は、同時代のヨーロッパのどの都市よりもはるかに多くの人口を擁していた。さらには、ティノチティトランには当時のヨーロッパのどの都市にも見られなかった水道や植物園、掃き清められた道路があった。 ・ アメリカ大陸の最古の都市は、エジプトが大ピラミッドを建設する以前にすでに栄えていた。
・ 先コロンブス期のメキシコの先住民はトウモロコシの交配を繰り返し現在の品種を作り上げた。その洗練された技術について先頃サイエンス誌は、「人類による初めての、そして恐らくもっとも偉大な遺伝子工学の業績だ」と述べている。
・ アマゾンの先住民たちは、熱帯雨林を破壊せずに耕作する術を熟知していた。今日研究者たちは、この失われた知恵を取り戻そうと研究を続けている。
・ アメリカ先住民は彼らの土地を徹底的に改良した。西欧人がこの地に来た時点で、すでにアメリカ大陸は広範囲にわたり人間の手によって「作られた自然」になっていたのだ。
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