ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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九州初の大人の自習室がオープン

『集中できる時間と空間』
有料自習室・天神シティライブラリー
 [問合せ:℡092-406-0381]
 アクセスの良さ抜群の福岡・天神2丁目に「有料自習室」が誕生。
 (福岡銀行本店昭和通り沿い側玄関のすぐ西隣/天神ホワイトビル7階)
http://www.academic-invention.com/
【料金システム】
1.「時間貸し制」は、最初の1時間が500円、以降30分につき、200円ずつの課金。
2.「定期パス制(いずれも利用期間1か月。)」は、利用パターンに合わせて4種類。
①『マンスリーパス』・・・・・・22,000円(完全フリーパス)
②『受験生パス』・・・・・・・・19,500円(中高生向けの時間限定フリーパス)
③『ウィークデイナイトパス』・・15,000円(社会人向けの曜日・時間限定フリーパス)
④『1時間回数パス』・・・・・・3,000円

【開館曜日・時間】
平日:10~23時、土曜・祝日:10~18時日曜:休館日

【蔵書】
日経産業新聞、日経MJ、AERA、読売ウィークリー、週刊東洋経済、週刊ダイヤモンド、プレジデント、日経ビジネスAssocie、日経おとなのOFF、日経ウーマン、就職ジャーナル、セオリー、アントレ、CASAブルータス、LEON、OCEANS、AERA・ウィズ・キッズ、プレジデントファミリー、Domani、CLASSY。論座、中央公論、婦人公論、三田評論、三田ジャーナル等々
 ビジネス向け新書、文庫、ハードカバーは新刊を中心に用意。
 語学系ではドイツ語が充実。各外国語辞典も有(欧州言語のみ)。
 息抜きにマンガも若干用意。「島耕作」シリーズ、横山光輝「三国志」全30巻、あだち充「ショートプログラム」、江口寿志の幻の短編集「爆発ディナーショー」、わたせせいぞう「ハートカクテル全6巻」など。
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田川のシンボル香春岳.txt

先日、研究授業で福岡県立田川高等学校に行きました。後藤寺のバスセンターより、バスに乗り豊産で下車。バス停から田川高校へ向かう道から、仰ぎ見えた真っ白い山が香春岳です。最初、雪が降ったのかと思いましたが、それは石灰岩でした。

作家五木寛之氏が「青春の門」の中で「異様な山」と評した香春岳。
香春岳は昔より銅の産出した場所であり、新羅からの渡来人がその高度な技術で精製していた。奈良東大寺の大仏造営でも、ここから搬出された銅が相当量使われたという。平安時代には宇佐八幡宮に奉納する御神鏡を鋳造している。近代ではセメント原料としての石灰の採掘が昭和10年から始まっている。湿式回転窯という、当時としては最新の設備を備えた香春工場で加工されたセメントは、世界各国に輸出されていた。
石炭が黒ダイヤ、セメントが白ダイヤといわれた時代の話である。

☆香春岳(かわらだけ)
福岡県田川郡香春町にある石灰岩で出来た山である。一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳があるが、これらをまとめてこう呼ぶ。地元の人は、香春岳と呼ばず、一ノ岳、二ノ岳、三ノ岳と呼ぶ事が多い。 全体が高品位の石灰岩で出来た山のため、昭和初期からこれを原料にしたセメント工場が立地していたが、消費地からも海からも離れている事が災いして工場は閉鎖され、現在では石灰石(特に白色度の高いものは「寒水石」と称し、製紙原料として珍重される)の採掘のみが行われている。

筑豊御三家と石炭

筑豊御三家
九州北部の筑豊地方に地盤を置く、地方財閥3家、安川家、貝島家、麻生家のこと。
この地方に埋蔵されていた石炭(筑豊炭田)採掘を主な事業としていたところに共通点がある。

①安川氏
旧黒田藩士。安川氏は明治10年に芦屋で石炭販売業を始め、明治19年には店を若松に移転。
明治26年には門司に「安川・松本」を開き、その後、支店を東京、大阪、神戸に設けた。筑豊御三家の貝島、麻生氏と協力して、「鉄道建設」(筑豊線・伊田線等)に関わり、「炭鉱経営」「明治紡績」業にも乗り出す。
安川・松本合名会社「明治鉱業株式会社」
炭鉱経営では糸田町の「豊国炭鉱」の他に筑豊では「平山炭鉱」「明治炭鉱」「赤池炭鉱」糟屋郡に「高田炭鉱」(いずれも福岡県)佐賀県に「西杵炭鉱」、「多久炭鉱」更に北海道の「昭和炭鉱」等の諸炭鉱を経営する。
大正4年には「安川電機」を八幡西区黒崎に創業。戸畑に「明治専門学校」(現九州工大)を設立、後に、これを国に寄付した。

②貝島氏~炭鉱夫から炭鉱経営者~
 筑豊御三家の一つ「貝島氏」は、炭鉱夫から、一代で財を成し、立身出世した人物である。鞍手郡宮田町で、大之浦炭鉱(持主貝島氏)を経営、その手腕は優れていた。
炭鉱の労働者の子弟を学ばせるために、三つの小学校を造ったり、全国から労働者を集めるために、宣伝映画を製作した。
貝島炭鉱は1974年(昭和49年)閉山、最盛期であった昭和30年の宮田町人口5万1795人をピークに年々減少し、平成16年5月末現在、人口は2万1322人となっている。


③麻生氏
麻生家は、宇都宮氏の流れを汲む麻生氏の一族とされており、江戸時代には村の庄屋を務め、1868年大庄屋となった。明治の始め現外相の麻生太郎氏の曾祖父・麻生太吉が目尾御用炭山を採掘し石炭産業に着手、九州三大石炭財閥の一つにのしあがり、鉄道、電力、金融等幅広く事業を展開して大富豪となった。戦後麻生炭鉱は吉田茂の資金源となった。

この麻生氏は先見の明があったのだろう。貝島家は「石炭以外には手を出すべからず」という家訓を頑なに守って、先細りになっていったのに対し、「石炭はいつかなくなる」と新事業の備えを説いた麻生家は、セメント事業に転換し、今日まで生き残った。
そして、セメント事業が伸び悩むと、医療分野に着目し、もともと炭坑の医療施設だった麻生飯塚病院を中核に、病院経営や医療システムの開発で再び業態転換に成功した
のである。
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