ヒストリア(歴史のネタ)

まさかまさか自分がblogを始めるとは・・・(苦笑)。 授業に使えそうな「歴史のネタ」を中心に書いていこうと思います。

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国内唯一の現役金鉱山「菱刈金山」:世界有数の超優良鉱床.txt

日経スペシャル「ガイアの夜明け」 9月2日放送 第329回
ゴールドを世界が狙う ~金争奪戦・・・日本の技術で挑め~
鹿児島空港から車で北に約1時間の場所にある、国内唯一の現役金鉱山、菱刈鉱山。住友金属鉱山が保有し、総延長100km以上にも及ぶ。かつて国内に300以上あった金属鉱山が次々と閉山に追い込まれる中で、菱刈が操業を続けていけるのは、金の品位が「世界でも稀に見るほど高い」から。菱刈で産出される鉱石1トンに含まれる金の量は40g以上。世界平均の約10倍だ。当初、推定埋蔵量は120トンだったが、いままでに既に約170トンの金を産出。まだ150トンは金が採れるという。実はこの鉱山、住友金属鉱山が「金の採掘学校」として、守り続けているヤマだ。年間採掘量を7.5トンに抑え、出来るだけ掘り尽くさないように気をつかってきた場所である。

○一般的に鉱山の寿命は20年前後

★菱刈鉱山(ひしかりこうざん)
鹿児島県伊佐郡菱刈町東部にある日本最大の金鉱山である。金だけではなく、銀も産出する。
菱刈町は、江戸時代において産金地であった。そのため、1970年代より金属鉱業事業団(現:独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構)が金鉱探査を行い、1981年に鉱脈を発見した。住友金属鉱山により1985年から採鉱が行われている。ここにおける産金量は年間国内産金量のほぼ全てを占めている。
菱刈鉱山における推定の金埋蔵量は、250tと推定され、これは国内の他の主要金山全てを合計したものを上回る大規模なものである。また、1997年には鉱山の累計産金量が国内トップ(83t)となった。
菱刈鉱山の金鉱石の特徴は、その高品位にある。通常の金鉱石の品位は、数グラム/tであるのに対し、菱刈のものは、鉱床探査の試錐で290グラム/t、鉱山の平均でも約50グラム/tと非常に高い。この鉱脈は、マグマの活動に伴う熱水の活動によって形成されたと推定されている。
また、従来の鉱山では、鉱内鉄道・トロッコを使用していたが、70年代以降、トラックを用いたマインレス方式が導入されつつあった。既存の花岡鉱山や釈迦内鉱山はこの方式に更新したが、菱刈鉱山では当初から鉱内において自動車を使用するなど、異なる方法が取られている。
同鉱山からの副産物である温泉は、湯之尾温泉へ供給されている。
菱刈鉱山の金脈発見が是川銀蔵の目に留まり、有名な仕手戦へと繋がった。周辺にも金脈があることを見抜いた是川は、これを住友金属鉱業に助言するが、同社はこれを無視したばかりか、周辺の土地が是川の手に渡ると、現在ならば証券取引法に抵触する詐欺まがい行為でこれを安く譲渡させた。もっとも、是川は株以外で儲ける気はなく、はじめから買値で譲るつもりだったが、打算的な住友にひどく落胆した。
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ロンドンとパリを2時間15分で結ぶユーロスター.txt

ユーロスター (Eurostar)
ロンドンとリール、パリおよびブリュッセルを最高300km/hで結ぶ国際高速列車。列車はユーロトンネル(チャネルトンネル)を通って英仏海峡(ドーバー海峡)を横断し、イギリス、フランス、ベルギー各国内の高速路線を使用する。ユーロトンネルが開通した同じ年の1994年11月14日に開業した。
ユーロスターはTGVをもとにフランス・イギリス・ベルギー3国により共同開発された車両で、3カ国直通運転の為に工夫されている。尚、形式としてはクラス 373(British Rail Class 373)となっており、クラス 373の3000番台は英国、3100番台はベルギー、3200番台はフランスが所有する。しかし3200番台のうち4編成はTGVとしてパリ-リール間の短距離区間で使用されており、3300番台7編成は将来のイングランド北部・スコットランド方面への乗り入れに備え、2005年12月まで英国の鉄道会社GNERがリース契約で借り受けたものである。車両の色もGNERのコーポレートカラーであるダークブラウンに変更し、ロンドン・キングスクロス-リーズ/ヨーク間を実験的に営業運転を行っていた。しかし、航空機との競争等による採算性の問題からユーロスターの延伸は中止となった(現在はロンドン・ノースポール車両基地にて一時的に保管されている)。また、増結用寝台車として新造された"Nightstar"は結局一度も営業運転で使われること無く、カナダのVIA鉄道に売却された。
2007年11月に、イギリスの高速新線HS1(CTRL)が開業するまでは、セント・パンクラス駅ではなく、ウォータールー駅(フランス語読みでは『ワーテルロー』)に発着していた。当時は、軌道の関係(第三軌条方式)のためスピードが出せず、現在よりも数十分時間を要していた。
また、当初は一部列車についてはウォータールー発着を残す予定であったが、コスト面での折り合いが付かないため全列車がセント・パンクラス発着となった。
因みにキングスクロス駅とセント・パンクラス駅は隣同士に位置している。


★ウォータールー駅(フランス語読みでは『ワーテルロー』)
ウォータールー駅ロンドン・ウォータールー駅(Waterloo station)はロンドンサウスバンクに近いランベス地区にある主要な複合ターミナル駅である。4つの鉄道駅とバスターミナルがつながっている。全ては運賃区間のゾーン1に収まっている。 ウォータールー国際駅は現在、ロンドン側のユーロスターのターミナルとなっている。ウォータールー地下鉄駅とウォータールー・イースト駅はそれぞれウォータールー駅と隣接している。
ロンドン・ウォータールー駅はイギリスでは一番旅客数が多い駅となっている。CTRLが全線開業する2007年中にはユーロスターのターミナル駅がセント・パンクラス駅に移されるので旅客数の減少が考えられている。
ユーロスターが営業を開始してから、フランス側から駅名を改称してほしいという要求がたびたびあった。理由は、ナポレオンが戦いに敗れた地名だからである。

☆ワーテルローの戦い
1815年6月18日、イギリス・オランダ連合軍およびプロイセン軍が、フランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍を破った戦いである。
英語での発音はウォータールーである。ラ・ベル・アリアンスの戦い(ラ・ベル・アリアンスのたたかい, (独)Schlacht bei Belle-Alliance)とも呼ばれる。ベルギーのラ・ベル・アリアンスを主戦場としたが、ウェリントン公により近郊のワーテルローの名を取り、このように命名された。
ナポレオンにとっては最後の戦いとなった。

世界一死刑が残酷な国はイラン.txt

世界一死刑が残酷な国はイランといわれる。絞首刑、石打ち刑、体切断刑、高所から突き落とす刑、と4つの刑から選ばれる。未成年者も死刑に相当する犯罪を犯した場合は4つの刑から選ばれる。
①恐怖の『石打ち刑』
シャリア法に従い、囚人は胸まで埋められ、手の自由も奪われる。さらには即死せずに苦しんで死ぬよう投げる石の大きさまで定められている。石打ちによる死刑は男女ともに対象であるが、石打ち刑の適用は女性が圧倒的に多いのが現実である
元々は預言者モーセが律法の中で「姦通した女は石で打て」と命じたものだ。
ユダヤ教から派生したイスラム教の規範と罰則を記した律法の中で、一般に知られていることがらは、泥棒すればその手を切り落とし、夫以外の男に通じたり、姦通した未婚女性は石打ちの死刑にされるという掟である。旧約聖書時代から普遍的にあった「目には目を歯には歯を」という応復規律がイスラム教のシャリア律法に取り入れられた。今もアフガニスタン、イラン、ナイジェリアなど一部のイスラム教国ので行われ、
人権団体などが調査・抗議を続けている。
②事例:イランで女性7人に石打ち刑の判決 2006/10/08
7人のうちほぼ全員が、姦通罪での石打ちによる死刑判決である。
貧困のため夫に売春を強要され、姦通罪で石打ちによる死刑判決を受けている女性
ある1人の女性は「絞首刑を受ける用意はできているが、頭や顔に石を投げられて死ぬのは堪え難い」と述べているとアムネスティは伝えている。
③その他の事例
【テヘラン 2007年7月11日共同】
イラン北部の村で妻以外の女性と関係を持ったとして姦通罪に問われた男性に対し、石打ちによる死刑が最近執行されたことが分かった。ジャムシディ司法府報道官が10日の記者会見で明らかにした。
 石打ち刑は死刑囚が男性の場合、下半身を土に埋めて身動きができないようにした上で、死亡するまで地元住民が石を投げつける刑罰とされ、公開で行われる。
 今回、刑が執行されたのはイラン北部タケスタン近郊の村に住んでいた男性。11日付シャルグ紙によると、住民が石打ちを拒否したため、裁判官と警察官数人が公開で刑を執行した。男性と関係を持ったとされる女性も同じ刑を言い渡されたが、裁判所が執行するかどうか再検討しているという。
③レズやゲイも死刑
【2007年08月28日】
イラン人レズビアンのペガーさんが強制送還の危機に日本人支援者が英国大使館・外務省に請願提出した。 同性愛者であることから死刑が予想され、母国イランを離れ
イギリスに亡命している女性の難民申請が、イギリス入国管理局に棄却された。
 彼女はここ数日の間(当初の予定では8月28日)に、イランへ強制送還される可能性が高い。命の危機に直面しているのは、イラン人でレズビアンのペガー・エマンバクシュさん(40)。
イランでは同性愛は違法とされ、死刑に処されることがある。現在、彼女はイギリス入国管理局の収容所にいる。 イスラム刑法では「レズビアン同士の性交への罰則はむち打ち100回。3回以上繰り返された場合は死刑」 (英国内務省,、イランに関するガイダンス資料 2007年)とされている。
 2005年には10代のゲイ男性2人が絞首刑に処された。亡命イラン人同性愛者の人権団体「ホーマン」 は、イラン政府が1979年以降、少なくとも4000人の同性愛者を処刑してきたと非難しているという。
 ペガーさんのパートナーだった女性はすでに逮捕され、拷問を受け、石打ちによる死刑に処せられたそうだ。ペガーさんは、2005年にイランを脱出し、英国で難民申請を行った。レズビアンを公言しているペガーさんが今イランに戻れば、拷問と死刑が待ち受けていることが容易に予想される。

息子の誕生日にMジャクソンを呼んだブルネイ国王.txt

ブルネイのボルギア国王は、息子のアジム王子の誕生日にマイケルジャクソンを呼んだ。その費用11億7500万円。
また娘の誕生日にはスティーヴィーワンダーとホイットニーヒューストンを呼んでいる。

☆ブルネイ
石油と天然ガスが主要な地下資源である。国民のおよそ3分の2がマレー人、中国系が20%、。公用語はマレー語であるが、英語も公的な場で使用されている。イスラム教が国教であり、住民の大部分はスンナ派イスラム教徒である。
首都バンダルスリブガワン(人口5万人(1995年推計))が最大の都市。
80年代後半の年人口増加率は8%に達しているが、その数字は移民の増加を反映したものである。2005年推計では2%となっている。
医療および教育施設は比較的によく整備されており、医療は無料、教育も国内や海外での高等教育段階にいたるまで無料で、大部分は石油収入でまかなわれている。義務教育は5~16歳で12年間。初等教育と中等教育はマレー語、英語、中国語、高等教育は英語でおこなわれ、就学者数は初等学校が4万人(2000年)、中等学校が4万人になる。

探検家ハバロフに由来する極東の中心都市ハバロフスク.txt

1.歴史
1858年、アムール川を東進してきたロシア帝国の監視所が建設され、17世紀のロシアの探検家エロフェイ・ハバロフにちなんでハバロフカと命名された。1860年の北京条約により、この町の中心部になるアムール川東岸(右岸)の地域は正式に清からロシアに割譲された。1895年には現在のハバロフスクという名前になった。
その後はロシアの極東進出の拠点となり、1916年にはアムール川を渡る鉄橋が完成して、シベリア鉄道の国内線が完成した(それまでは東清鉄道による中国領内のショートカット)。1917年にロシア革命が起こると、極東地域は反革命軍が制圧し、1918年にはシベリア出兵により日本軍がハバロフスクを占領した。その後、1920年に日本軍は撤退して極東共和国が成立し、1922年に日本軍がシベリア出兵を終了すると、ハバロフスクはソビエト政権の支配下に入った。
ソビエトもロシア帝国と同様にハバロフスクを極東開発の拠点として重視し、機械工業や金属工業などの重工業や、シベリアの豊かな森林資源を利用した木材業などの工業建設を進めた。また、極東では数少ない外国人開放都市と指定され、シベリア鉄道を利用する旅客や貨物の重要な拠点となった。その後、ペレストロイカによりウラジオストクなどが開放されても、経済や行政の中心地としての地位は維持した。
2000年にウラジーミル・プーチン大統領がロシア全土を7地区に分けた連邦管区制を導入すると、ハバロフスクは極東連邦管区の本部が設置され、名実ともに「極東の首都」となった。

2.日本との関係
1918年から1920年には日本軍がハバロフスクを占領した。一方、第二次世界大戦後のシベリア抑留では多くの日本軍将兵がこの近辺でも強制労働に従事させられ、その中の多くがこの地で没した。現在でも日本人墓地が維持され、近親者などによる墓参が行われている。また、一部の日本人向け観光コースにもここへの墓参が含まれている。
1956年に日ソ国交回復が実現すると、1961年に横浜からナホトカへの定期航路が開設された。ナホトカ港でソビエトに入国した外国人旅行者は連絡列車でハバロフスクに向かうように指定された。モスクワや、ヨーロッパ方面など、ハバロフスク以遠を目指す場合でも、ここからは別の列車や航空機に乗り換える必要があった。そのため、ハバロフスクは極東経由でソ連を訪れる旅行者は必ず訪れる町となった。また、1962年には新潟市長がハバロフスクを訪問し、1965年に両市の姉妹都市提携が調印された。同年にはモスクワと共に出羽海親方を団長とした大相撲のソビエト公演が行われた。
1973年には新潟と結ぶ航空路がアエロフロートにより開設され(後に日本航空も運行)、その後長く日本からシベリアへ向かう唯一の直行路線となっていた。同時に、新潟空港にとっても初の国際線で、北東アジアの各都市へ路線網を拡大するきっかけとなった。
ソビエト崩壊後もハバロフスクと日本との関係は深く、1993年には日本の総領事館が設置されている。また、1996年にはハバロフスク地方と友好提携関係を結んだ青森県の青森空港からの定期航空路が開設され、現在は夏季の運行となっている。なお、新潟線・青森線共に、現在の運行会社はハバロフスクが本社のダリアビア航空になっている。
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